確認 髪なら思慕、額なら友情、瞼なら憧憬。 キスを落とす位置に行為の動機を付加した挙げ句細分化した格言は、お砂糖とスパイスと素敵なもの何もかもで出来ている少女たちを、一休みにと立ち寄ったカフェのテーブルで、雪国の寒さを忘れ去るようにきゃあきゃあ騒がせるには充分なロマンチズムで溢れている。 言い出したのは意外なことにハナだった。「キスの場所で意味が変わると聞きましたも。でもキスはキスですも。好きな人にするものですも。どうして意味が変わるのですも?」「誰だよハナに変なこと吹き込んだの!」 純粋な疑問を受け真っ先に吠えたのはニアで、普段の行いからまず真っ先にトラが疑われたが、トラがキスの場所の意味など知っているわけがない(彼はあくまで『男のロマン』を追い求めているのであり、キスに意味を付与する乙女のときめきとは対極に生きていることは明白だった)という判断から無罪放免となった。釈放されたトラは「カグツチが物凄く怖かったも……」と言いながら静観していた男性陣の元に逃げ帰り、嫌疑自体は残当と多少見放されながらレックスとジークによしよしと慰められた。なお次の槍玉に上がったのはジークであったが、同様にサイカが主張した「王子にそんなもん話題にする繊細さはないわ」の一言で許されている。 犯人探しは結局、ここパティスリー・プラクースで、ハナがメレフと一緒に席取りをしていた間、近くにいた少女たちが話していたのだというメレフの説明をもって収束した。「惚れ薬だの耽美な殿方の本だの、なんかこの国業が深くない?」 とニアがジークの脇腹を突っついたのは余談である。「キスする場所で色々意味が違うのよ。でもハナにはちょーっとオトナの話題かもしれないわね」「ヒカリは知っているですも? なら教えてほしいですも! レディになるために必要な知識なのですも!」 騒ぎが一段落すれば同じ話題でもう一度真っ当に盛り上がり始めるのは少女たちの常で、いつどこで仕入れた知識なのやら、キスの場所とその意味についてヒカリが妙な上から目線を見せ、ハナが可愛らしく拗ねて手足をばたばたさせて抗議する。そうなれば先程はまだまだまっさらなハナに余計な知識を吹き込んだのはどこの誰だと肩を怒らせていたニアは興味津々に耳をぴこぴこ忙しなく動かし、面白がったサイカが「教えてえな」と水を向ける。「無駄とまでは言わないけれど、必要ない知識だと思うわよ、ハナ」「何言ってるのよカグツチ、とっても大事なことじゃない。どこにキスされるかで相手が自分をどう思っているかが分かるのよ」 盛り上がるガールズトークを常識的に宥めようとしたカグツチが、口を出したことによりヒカリに補足され、そのまま女子たちの勢いに飲み込まれる。男性陣に紛れて姦しい一弾から早々に距離を取ったメレフは、逃げ遅れた相棒にそっと同情を示しながら適当なところで纏めてくれとついでに保護者的立場も押し付ける。どのみち今日も絶好調な女子軍団を取り纏められるのはパーティに彼女しかいない。 かくしてヒカリによるキスの場所による意味の違いの説明は始まり、一方3メルトほど離れた隣のテーブルで、その話題には欠片の興味もないレックスとトラがルクスリアの機械部品(パーツ)を使えばその古代文明の技術を転用したハナの新モードが出来るのではないかと、こちらもこちらで男のロマン――敢えて言おう、極めて健全な方の男のロマン――全開で盛り上がり始める。その遣り取りを微笑ましく眺め、ついでにスペルビアに持ち帰れる手頃な古代機械はないかなと勝手に考えていたメレフの耳が、ふっとヒカリの声を拾う。聞き耳を立てていたわけではないが、彼女の声はよく通る。ヒカリが自信満々に喋っている内容に小さな引っ掛かりを覚えた。鼻梁なら愛玩、頬なら親愛、唇なら愛情。唇のところでハナのテンションが妙に上って動きが小刻みになっているが、メレフが気になったのはその前だ。メレフの認識している意味と違う。記憶では、頬は満足感を示すはずだ。「メレフ、ジーク、オレちょっとトラとジャンクパーツ見てくる!」「行って来るも!」 熱量がいい具合に噴き上がったらしいレックスとトラがテオスアウレの街に走っていく。少年のテンションも少女たちに負けず劣らずすぐ火がついて、大人からすれば少々面食らう。「ああ、行って来い」 反射で答えて見送る。隣のジークが「闇市のパーツなんぞ高うてボンらには買えへんぞ」と現地人の意見を述べる暇もなかった。 少年少女の双方から置いてけぼりを食らった大人二人は、なんとなく黙って顔を見合わせる。現在時刻午後四時半、ルクスリアの落日は早く夕暮れの気配が匂い始めたが、食事時まであと二時間半。なんとも中途半端な時間である。少女たちをちらりと見ると話は既に古今東西の恋愛におけるキスシーンの素晴らしさに移行しており、王子様とお姫様がどうこう、流行りの恋愛小説のヒロインがどうこうと後数時間は楽に潰せる勢いだ。カグツチが案外順応して結構楽しそうにしていたので子どもたちの面倒は引き続き任せることにして、さあ自分たちはと首をひねる。「観光案内でもしよか? あんま見せるもんもあらへんけど」 何をする当てがあるでもない。アナターシスに現地集合とだけ言い置いて、ジークの提案にメレフはありがたく乗った。 ルクスリアはつい先日まで五百年に渡る鎖国を頑固に維持し続けていた国である。当然、観光地化された名所などあるわけもない。ただ現代の機械技術国家のスペルビア人であるメレフにとってはルクスリアの古代機械技術で維持される街並みはそれだけで胸を高鳴らせる価値がある。残念ながらジークはエーテル動力で駆動する古代機械については明るくなかったので原理は分からないが、それを望むのは流石に贅沢というものだろう。 詳細な説明がなされない代わりに交わす会話はと言えば、先程のヒカリたちについてである。「まあえらい盛り上がりよったなあ。サイカもそうやけど、ああいう話の何がそないに女の心を掴むんや」「さあ……その類の意見を私に求められても困る」 大雑把にパーティを分ける際、自分を女性陣から自然に除外するメレフである。先程も一人男性陣に紛れて巻き込まれないよう逃げていた。そのメレフに一般的な女性の感性の説明を求めるのは確実に相手を間違えている、と彼女は自身を冷静に認識していた。 ジークは意外そうに垂れ目を丸くする。「言うてメレフ、さっきなんだかんだ気にしとらんかったか?」「そうか? いつ?」「ボンらが出ていくちょっと前」 ああ、とメレフは得心する。二人の脇をスペルビアではお目にかかれない毛皮のコートでもこもこになった少年少女が駆けていく。ちなみにどこへ行くつもりだと聞いたら、テオスピティ神殿跡まで行って帰るとのことだった。「記憶にあるキスの格言とは意味が違うものがあったのでな。それが気になった」「なんや、結局興味あるんやん」 ジークはけらけらと笑う。にやついた視線が無性に気に食わず、「違う」とメレフは少々ささくれた声を上げて、彼の目から隠れるように軍帽の角度を正した。「詩劇の引用だ」 芸術は敵国であるインヴィディア烈王国の秀でる分野だが、優れたものは当然ながらスペルビアにも輸出されている。そのうちの一つである。皇族の教養として、メレフは芸術・美術の方面にも明るかった。 ジークはあからさまに、そして明白にメレフをからかう意図を隠しもせず、つまらなそうにこめかみを掻いた。「おもろないなあ。ええやんそういうんが好きでも。ギャップって大事やで。意外性が人の心を動かすんや」「何がだ。何のだ。そして誰のだ」「ほらこうあの特別執権官が案外女の子らしいゆうてスペルビアの男の心をずぎゅーんと」「不要だ」「民の支持を得るんも人の上に立つもんとして大事やと思うけど」「支持を頂けているのはありがたいがお前の言うそれは種類が違う。それを言うならお前こそたまにはそのへらへらした態度を改めて普通に喋ればいい。ニアやトラあたり見直してくれるかもしれないぞ」 辛辣なメレフの物言いにジークが心臓のあたりを押さえて呻く真似をするのを無視して、辿り着いたテオスピティ神殿跡の建築を眺める。荒れ果てた石造りの遺跡は今なお王都のインフラとして稼働する古代遺跡さえなく朽ち果てた史跡に過ぎない。先程の子どもたちはここを遊び場にしていたのだろう。人の気配はない。屋内型巨神獣ゆえ昼日中でも太陽光の差し込まないゲンブにあっては夕暮れもスペルビアのようなセンチメンタリズムの景色を呼び起こしはしないが、それでも薄暗さを増す空は夜の訪れの近さを知らせていた。「やったやん、アーケディアの会談で」「そうだったな」 ジークの言い分を受け流して石造りの階段を降りる。王都中心部とは異なり、街の外の冷気が強く頬を叩く。吸い込む空気が鼻の奥を刺す。スペルビアには絶対に吹かない突き刺さる風が、メレフは案外嫌いではなかった。「そんなら」 階段を降りきり、このような寒冷地でも力強く壁に根を張る名も知らぬ植物を指先で愛でるメレフのすぐ背後で、ジークが謀略の笑みを浮かべたのが見ずとも分かった。「やってみせたるわ、見てみぃワイのええ男っぷりに惚れ直すで」「まず惚れていない」「じゃあ惚れさせたる」「結構だ」「そんなこと言うて、ワイに惚れてまうんが怖いんとちゃうか?」 ジークの物言いに、メレフの瞼がぴくりと震える。「ほう?」 うっそりとメレフが浮かべた微笑は凄絶の一言に尽きる。彼女はジークの言葉が自分を焚きつけることを目的としていることを理解していた。しかしそんなことを言われてなお逃げるなど、彼の言い分が真であると認めるようなものではないか。それはスペルビア特別執権官の名が、いや、単純に女が廃る。これはメレフの矜持の問題であった。 ゆったりとした所作で腕を組み、傍らのジークを見上げる。並の男より上背のあるメレフより更に上の位置にある目線。緑がかった黒の瞳が、なんとも愉快そうに輝いている。「言ってくれるじゃないか、ジーク。ならばその挑戦受けて立とう」「おう覚悟しいや」 何もかもが勢い任せの謎のノリで進行し、なぜか冗談が現実になる。ジークとのやりとりにおいて、似たようなことはたびたびあった。たとえばスペルビアとルクスリアの今後の国交についての話が互いが政略婚の相手としてどうだという話題に発展したり。ドライバー同士戦闘の相性がいいことが生活の相性の話に飛躍したり。友として、の前提を敢えて省いて好ましいと言い合ったり。惚れてはいない、と言った。嘘ではない。少なくともメレフはそう思っている。ただ危うい冗談を繰り返して、否応なしに関係だけが近づく中で、何かの間違いで名前の付きかねない心をどう定めたいのかだけが、いまだにまったく不明瞭なままでいる。 正面からジークと向き合う。 周囲に生物の気配はない。半壊した遺跡の柱の向こうから、降り続ける万年雪が覗くだけ。 まるで世界に二人のように。「メレフ。俺はお前を好ましく思っている。正直に言えば、たとえばいつか俺がこの国に戻った時、妃を迎えるならお前がいいと思っている。――口付けをしても、構わないか」 もし本当に彼と世界に二人になったら、自分はなんと答えただろう。 ほんの少しだけ、そんな仮定をした。「ジーク……」 そんなもしもはありえない。メレフの傍にはカグツチが、ジークの傍にはサイカが、それぞれ呼吸の果てまで共に在り続ける。二人きりには、決してならない。「……誰だ、お前」 特別に彼を貶める意図は毛頭なく、ただ許容量を軽く飽和した違和感が呆れ声になった。 ジークががくりとわざとらしくずっこける。「名前呼んどいてそれひどない?」「いや、すまない、本当に違和感が凄い。謝ろう、私が間違っていた。お前は今のままでいい」「重ね重ね酷いのやめぇや!」 大げさな身振りで突っ込んでくるジークに無性に安堵する。見慣れた彼だ。「と言うか、ジーク、私は口説けと言った覚えはない」「あれ、そういう話やなかったっけ」 絶対に違う、と強く言い置いて、メレフは溜息をつく。懐中時計を取り出して時刻を確認し、そろそろ戻るぞと踵を返した。来るのにかかった時間を逆算すれば、夕食の予約時間十分前にはアナターシスに戻れるだろう。さてガールズトークはどこに着地したのか、レックスとトラは何かお宝を見つけることができたのか、ぼんやり思いを馳せるメレフに数歩の大股で追いついたジークは腕を頭の後ろで組んでひとつ口笛を吹いた。「何があかんかってんやろ、結構自信あったんやけど」「何がというか、普段との落差が大きすぎて詐欺師か何かにしか見えなかった」「普段はニアの悪態に隠れとるけど、お前も割とワイに対してえげつないよな」「会談の時は普通に王子らしく見えたぞ」 ジークの疑問に答えるなら、唐突に口説いてきたのが一番悪い、になるのだろうが、指摘するのも面倒臭くてメレフはその感想を胸に仕舞い込んだ。散々こき下ろす結果になってしまったことに対する詫びとせめてもの情けと言い換えて差し支えない。 そうだ。あんな言葉。直情過ぎて、正直過ぎて、真っ直ぐ過ぎて、嘘にしか聞こえない。 太古に崩壊した神殿の階段を登りきり、テオスアウレの街へジークと並んで歩を進める。眼前遠くに広がる夜の降りた街はエーテル光に照らされて、ほのかに緑がかり昼日中とは装いを替えている。夜に溶けた深碧。彼の目と同じ色だとふと思い、傍らを見上げる。視線に気づいたジークが「なんや」と口を開きかけたところで目を逸らした。 代わりに小さな好奇心を口にする。「先の似合っていなかった口説き文句」「一言余計過ぎひん?」「お前の専売特許ではないということだな。それで、ちなみに、本当に口付けるとしたら、どこに」 ジークの言ったように、我が事ながら意外ではあるが、存外自分もこの手の話が好きなのかもしれない、とメレフは特に驚きもせず自身を俯瞰した。同じ場所から、何を言っているんだ、と呆れた声。本当にな。聡明な部分の自分に返しながら、ヒカリが得意げに披露していた眉唾の知識を思い出す。 ぱちくりと目を瞬かせたジークは、しばしの間考え込んだ。どこにって唇以外どこにすんねんとばかり答えが返ってくると思っていたメレフは、少々拍子抜けしながら彼の言葉を大人しく待った。聞いておいてなんだが、唇くらいなら常識的回答としてともかく首とか胸とか言われたらたぶん自分は抜刀くらいはするし、それに対してジークは質問しておいて理不尽だと文句を言うだろう。そんな想像をして足だけは動かして十秒。「背中」 言葉は唐突に落ちた。ジークはメレフを見なかった。夜のテオスアウレは喧騒を失って慎ましく呼吸をしていて、だから街の中心へと歩きながら相変わらず周囲に生物の気配はなく、その一言は静寂の中でいくつもの波紋を描いてメレフの中に広がった。 思っていたより悪くない答えだった。 少女たちが盛り上がっていたキスの意味の話において、その場所に何が宿るかをメレフは知らないけれど。「――キスの格言を知っているか」 心は凪いでいた。嬉しいも痛いもなかった。明日の天気の話題と同程度に無味乾燥な雑談で、言葉に意味は何もなかった。強いて言うなら牽制に成り損ねた吐息と、自己表現の下手な満足感だけが二人分の足跡に紛れて石畳のそこらへんにぽつぽつ落ちていた。「『手の上なら尊敬のキス。額の上なら友情のキス。頬の上なら満足感のキス』」 引用は淀みなく紡がれる。今なら頬にくらいはキスをくれてやってもいいかなと気まぐれを起こし、実行には至らぬまま気まぐれは気まぐれとして風に攫われる。ところでヒカリの披露していた親愛の意味は何に由来するものなのだろう。「『唇の上なら愛情のキス。閉じた目の上なら憧憬のキス』 ふっとカグツチを思い浮かべる。確かに彼女の柔らかな優しさは憧憬に値する。頬を緩めたメレフを、傍らのジークが不思議そうに見下ろした。黒みの深いシルバーグリーンの眼に映る自分を見上げ、そのまま引用を続ける。「『掌の上なら懇願のキス。腕と首なら欲望のキス。さてそのほかは』」「『みな狂気の沙汰』――やな」 結びを奪われ、メレフは繰り返す瞬きを以てそれを受け取った。 知らず歩みが止まる。二歩遅れてジークも立ち止まる。二人の隙間一メートルと半分を冷たい夜風が刺し貫くように吹いていく。ルクスリアの寒風。スペルビアにもグーラにも決して吹かない風。 嫌いではない。 ジークはどこか得意げに胸を張っていた。満点を確信した表情は少し腹立たしくも思えたが残念ながら満点回答なのはその通りで、くつり、とメレフは喉の奥で笑う。軍帽を無意味に正し、彼の微笑から自身を遮って再び歩き出した。「意外だ。知っていたのか」「昔インヴィディアの劇場で見た」「サイカの趣味だな」「当たりや」「よく覚えていたな。お前のことだ、どうせ眠ってしまったんじゃないのか?」「メレフお前、ワイをなんやと思うとんねん。まあ半分寝たけど」「やはりな」 仕様もない会話。何度も繰り返した二人きりの応酬は、その都度無二の友として在りたい精神を裏切って距離だけを無慈悲に縮めていく。刀の刃の上を歩くような危うさをもって。そうして余計に分からなくなる距離について、メレフは全く被害者ではない。今回だって、勢い余ったのはジークだが、けしかけたのはメレフである。 それなら一度くらい試してみるかと服を脱ぐくらい造作もないことな気がした。そして男に組み敷かれて女を強く自覚する自分を思って怖気がする。多くの時間を至近距離で過ごす同じ旅の仲間で妙齢の男女、気の合う相手というおまけつき。惹かれる感情は至極正常でありながらそれでもどこか唾棄すべきように思えて仕方のない心は、助長して台無しにしたいのにしぶとく根を張るばかりで。 だから額ではないのだ。それでも唇に至らない。もっと言えば前向きな意味を乗せる余地が生まれることを、少なくともメレフは望まない。 狂気の沙汰。その程度に留めておくのが、おそらく一番収まりが良い。「『それ以外』なら、どこでもよかったのだろう」「まあな。案外難しかったわ、『それ以外』」 それきり話題は打ち切られた。発展性など最初からなかった。 闇市を横切りながら、ルクスリア料理の話をした。煮込み料理が多く、またスパイスを使用する皿が食卓には多く並ぶとのことだった。しかしその香辛料もルクスリアで採れるものは少なく輸入に頼っており、輸入ということは鎖国していた間、正規の交易ルートなど通っていなかったことをジークはつまらなそうに説明した。伝統を謳いながら原材を他国に依存し、かつそれを闇ルートでしか入手できなかったことが彼には気に食わないようだった。だが今は違うとメレフがフォローを入れれば、ジークは少しだけ溜飲を下げたようにそうやなと息を吐いた。今日の夕食に出てくるルクスリア料理に使用されているスパイスは、アヴァリティア商会を経由して真っ当な貿易ルートでこの国に入ってきたもののはずだった。 宿屋アナターシスへ到着した時、仲間たちは既に皆集合していた。案の定パーツは高くて買えなかったとレックスとトラがハナと一緒に肩を落としており、ヒカリとニアが別のテーブルで寒いと文句を言いながらホットミルクを飲んでいた。体を温めるがてら空腹を誤魔化そうとしていたらしく、お腹減ったよとニアがメレフに向かって唇を尖らせた。少し前にカフェで軽食を取ったはずなのだが子供の食欲には底がない。メレフは素直に遅参を詫びた。カグツチとサイカを呼んでくる、と足元で丸くなっていたビャッコを連れて客室へ上がっていくニアを見送りながら、メレフは残されたヒカリに呼びかけた。「ヒカリ。先のカフェで君が話していたキスの意味の話だが、背には何か意味があるのか?」「え、何、急に」 唐突な質問にヒカリは半眼で眉を顰める。当然だろうなとメレフは冷静に疑惑の眼差しを受け止める。「背中は確認。どうしたの、メレフがこんな話に乗ってくるのも珍しいじゃない」「なんでもない。悪くない意味だな」 肩に頬が付いてしまうのではないかと言わんばかりに首を傾けるヒカリを視線を受け流す。この話が彼女を経由してカグツチに漏れたら少々厄介だなと他人事のように考えながら、夕食の時間だ、とレックスとトラを立ち上がらる。その際ジークを軽く一瞥して、目が合う前に逸らした。このタイミングを図るのも、随分と上手くなったと自画自賛する。 なあジーク。どこでも良かった『それ以外』に、別口で意味が乗っていたらしいぞ。 だが、それでもやはり、彼はきちんと正解を叩き出せていたのだと思う。 悪くない。 全くもって悪くないと一人胸中で繰り返しながら、ジークの背中を軽く叩いた。2018/06/17 [0回]PR