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Dear, my dear.

ゼノブレイド2非公式二次小説置き場。 ジクメレ・カグメレ等メレフ中心。 管理人:琉

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少年だった頃 1

幼い頃、どんな子供だった?
 
 旅に危険は付きもの、移動中はどんな時でも警戒を忘れずに――その鉄則も、巨神獣アルスから巨神獣アルスへ移動する船旅においては薄れてしまう。風は穏やかに、雲海は太平に、周囲にモンスターの影もなく。極めて順調に航路を行く巨神獣アルス船のラウンジは、ボードゲームによる暇潰しにも飽きた仲間たちによる、そんな話題で持ちきりだった。どうやら、先日所用でイヤサキ村を訪れた際、ホムラとニアがレックスの秘密基地を見つけ出し、そのときセイリュウが語った話から派生したらしい。赤い顔で慌てふためき時には言葉を遮ろうとするレックスをジークとニアがソファに抑え付け、その間にホムラとトラがセイリュウに話の続きをねだる、という連携で、取り敢えずレックスの過去は赤裸々に暴かれた。その内容は、仲の悪い相手でも、友達だと言って、少々向こう見ずに助けに行く、小さな英雄様の微笑ましい話が大半だ。その他、サルベージャーの真似事で飛び込んだ雲海で溺れかけただとか、水汲みの最中うっかりフォネクスを蹴飛ばしてしまい転んだ挙句に引っ掻かれただとか、笑える昔話も少々。
 そして現在、散々レックスの幼少期を面白おかしく楽しんだ代償とでもいうように、ジークが槍玉に上げられていた。弄り散らされたレックスと興味津々でにやにやと笑っているニア、二人に便乗するトラに詰め寄られて、ジーク本人は素知らぬ顔をしようとしていたのだが、傍らのサイカがノリノリで語り始めたのである。慌ててサイカを止めようとしたジークに向かって、ええやんウチかて純真やったころの王子懐かしいもん、と当のサイカはどこ吹く風だ。

「でな、もっとカッコええ武器がええんやって王子が駄々捏ねよって」
「だーれーが駄々や」
「どう考えても駄々やであれ。やったら杖で我慢しときや」
「ああ、その大剣の構造ってそういう……」

 ニアが半目で笑って、ジークが壁に立てかけた雷撃の体験を見やる。現在の話のネタは、ジークの使用する大剣の創造秘話だ。

「ええやんけ、やっぱり男はでっかい剣持ってなんぼやろ」

 腕を組んで開き直るジークと、さして呆れた風でもなく形だけの溜息を吐くサイカの話を統合するに、彼の大剣は、元来杖を扱うブレイドであるサイカがジークの要望に応えて作り出した譲歩と優しさの結晶であるらしかった。
 脚を開いて猫背で座るニアが馬鹿馬鹿しいと言いたげに首を振った。

「亀ちゃんさあ……すっごい大人げない」
「なんやて? ニアには男のロマンが分からへんのか」
「ああちっとも分かんないね。バッカみたい」
「つまらんやっちゃのう。どや、ボンなら分かるやろ」
「え、オレぇ?」

 ジークは自身の右隣に座っているレックスと無理矢理肩を組み同意を迫る。ジークに対して90度、レックスと更にその隣のホムラを挟んだ位置のニアは、いよいよやっていられないと言いたげな目でテーブルに置かれていたチョコットを口に放り込んだ。

「トラには分かるも! あの分離機構には心を擽られるも! ハナの武器にも、あのエッセンスは取り入れたいものだも」
「お、分かるかトラ! ええやん、やっぱ分かる奴には分かるんや」

 そんなニアの真向かいにいたトラが賛同を示してソファの上で飛び跳ね始め、同意者を得たジークが嬉しそうに声を上げる。更にはハナが「ご主人、新しい武器作ってくれるですも?」と喜びはじめ、自分たちしかいないラウンジがにわかに騒がしくなる。微笑ましそうにしているばかりのホムラを横目に、ニアがぼそりと呟いた。

「いい大人がトラと同レベルでどーすんだよ……」

 と、カグツチの隣でくつりと喉が鳴った。ジークとレックスの正面に位置取りながら、我関せずと言いたげにさりげなく気配を消して会話を聞いていただけのメレフの、ティーカップを持つ右手が微かに震えている。ホムラが淹れてくれたセリオスティーだが、中身を零さないようソーサーにカップを戻したメレフは、ニアの一言が笑いのツボに入ったようで、零れそうな声を噛み殺しながら喉の奥だけを鳴らしていた。

「なるほど。あの分だと、天の聖杯が云々は抜きにしても、ホムラとヒカリの剣の形状は単純に趣味の真ん中なのだろうな」
「はははは、確かに!」

 誰に向けるでもなく呟いたメレフの感想に、今度はニアが声を上げて笑いだす。カグツチも、うっかり噴き出しかけたのを務めて堪えなければならなかった。
 男同士で盛り上がっていたジークがメレフへと顔を向ける。眦の垂れた右目の奥が挑発的に光る。おそらくメレフの言葉は何かしらの事実を突いたのだろう。口を開いて放たれる声は意趣返しの響きを含んでいた。

「なんやメレフ、自分は無関係ですーってな顔せんと。今度はメレフの話しようや」

 再びティーカップに口を付けていたメレフが、ぱちりぱちりと瞬きを繰り返してジークを見つめ返す。

「私の?」
「せや。炎の輝公子の子供時代の話、みんなも興味あるやろ」

 ジークの声音はあからさまに焚きつけるそれだったが、子どもたちは一斉に目を輝かせてメレフを見た。ジークの言う通り、興味はあるらしい。それに順番で言っても、そろそろメレフの番ではあった。ニアはビャッコが同調したのは比較的最近ということで語り部不在、トラは現在進行形でお子様と言うことで、残る昔話の対象はメレフしかいないのである。

「とは言ってもな」ティーカップを戻したメレフは、困惑顔で首を傾けた。「私は昔から変わらないよ。なあカグツチ」
「え? そ、そうですね。メレフ様は、幼い頃からお変わりありません」

 唐突に水を向けられてカグツチも困惑したが、メレフの視線が同意を求めていたので首肯するに留める。実を言うと、彼らが面白がりそうな昔話はメレフにとてたくさんあるのだ。避暑に赴いたグーラの別荘地で、ネフェルと二人で邸を脱走して湖に行ったことだとか、どうしても参加せねばならなかった夜会で、高名なスペルビア貴族の令嬢方から熱い視線を頂いたことだとか、新兵として軍に入隊した直後、中途半端な皇女のお遊びと自身を見くびった先輩連中や同期を実力で伸したことだとか。が、カグツチにはそれらを赤裸々にしてしまうつもりはなかった。これらは決してメレフの名誉を損なう過去ではないが、余計なことを話さないでくれよと、向けてくれた瞳が柔らかく、けれど饒舌に告げていたので。それに、幼い頃から変わりない、というのは、全くの事実なのである。
 だけれどこのせっかくの機会に、少しくらいドライバー自慢をしたくなって、そんなことを言わずにと自分を見る子どもたちに向かって、カグツチはふわりと微笑む。

「けれど、そうね、幼い頃から、真面目で努力家で……。私に相応しいドライバーになるのだ、と、定められた時間が終わっても、いつも稽古を続けられていたのをよく覚えているわ」

 正確には、カグツチに相応しいドライバーに、そして皇帝に相応しい人間に、であったが、そこは敢えて言葉にしない。
 閉じた瞼の裏には、いまでも鮮明にあの頃のがむしゃらな背中を思い出せる。まだカグツチよりずっと目線が低くて、肩幅も全然頼りがなかった、それでも真っ直ぐに前を見据え続ける眼差しと、曲がることを知らずに凛と伸びた背は、時を経て何も変わらない。

「細かいことにもよく気が付かれて。失敗をして青ざめている侍従を庇ったことも、一度や二度ではなかったもの」
「カグツチ」

 低めの声が、落ち着いて柔らかく、その裏に制止を求めて自分を呼ぶ。メレフは気恥ずかしそうに肩をすくめて目を伏せた。

「それくらいにしてくれ。むず痒くて仕方がない」
「あら、なぜです? 私はあの頃から、そんなメレフ様が誇らしくて仕方がなかったのですよ?」
「……カグツチ」

 もう一度、静かな声がカグツチを呼んだ。不快の響きも怒りの色も欠片もないが、微笑む唇がもう勘弁してくれと雄弁に語っている。少々居心地が悪そうに、メレフは軍帽を深く被り直した。

「はい。申し訳ありません」

 メレフに向かって素直に頭を下げ、話を打ち切る。自慢はし足りないが、致し方ない。

「はあ――」

 と、呆れ気味に息を吐いたのはニアだ。

「いや、メレフの話は予想通りなんだけどさ。なんというか、ホムラに負けず劣らず、カグツチもドライバーに甘いよねぇ」
「え、わ、私ですか?」

 唐突に名指しされたホムラが慌てたように頬を赤らめる。

「うん。何、炎属性のブレイドって、そういう特徴でもあんの?」

 ホムラの肩をうりうりと指先で捏ね回しながら、ニアは八重歯を覗かせてにやりと笑う。くすぐったいです、と身を捩るホムラの頬がますます赤くなるのを、カグツチは微笑ましく眺めた。ホムラとは違い、カグツチは平静を保っている。
 話がそのうち自分に飛び火することを悟ったレックスがそわそわと身を揺すらせている。気付いたジークが人の悪い笑みを浮かべ、からかう声を掛けようとした矢先、「そうだ!」とレックスは無理矢理に話題を転換させた。

「オレ、聞きたいことあったんだよ。なあ、メレフもジークもさ、同調したのっていつだったんだ?」
「あ、それは知りたい」

 言葉を被せるようにニアの耳がぴょこりと動く。レックスの企みは成功したらしい。ニアから解放されたホムラが感謝の表情でレックスを見ていた。
 ソファに手を付いて前のめりになったレックスは、自身とホムラを交互に指さした。
「オレとホムラはつい最近。ハナが完成したのは、オレたちとトラが出会った直後だろ。でもそういえば、二人のその話、聞いたことなかったからさ」

 レックスはメレフとジークをそれぞれ眺めて答えを促す。彼の隣で、ホムラも「私も知りたいです」と控えめに手を上げた。ニアについては、昔話を拒否した時に、ビャッコと同調してまだ一年、二年は経っていない、という話を聞いていたのでひとまず除外らしい。
 メレフとジークが目線を交わす。なんとなく、自分とサイカも。口火を開いたのはサイカだった。

「国を出たんが十年前やから……十二歳くらいやなかったっけ? いまのレックスより小さかった記憶があるわ」
「あー、そんなもんや。懐かしいなあ、もうそない前になるんか」
「びっくりするぐらい悪ガキやったで」

 口許に手をやり、声を潜める仕草だけして、音量は落とさずにレックスたちへ笑いかけるサイカである。声を上げて笑う子どもたちを苦虫を噛み潰した顔で一瞥し、ジークはサイカを小突いた。ええやん第一印象の情報大事やで、とサイカは悪びれる様子がない。ああもう、とジークが頭を無造作に掻いた。

「なんでそこで無駄に落とすねん、カグツチを見習えや」
「無理無理。王子がメレフを見習うてくれたらウチかて考えるで」

 分厚い丸眼鏡が光を弾いて素知らぬ顔である。ジークはがくりと肩を落とした。

「おーまーえーなー……」
「そっちはどうなん?」

 そんなジークを無視して、サイカはメレフとカグツチに向かって首を傾ける。それを受けて、カグツチもまた左隣のメレフを見やった。先程は出しゃばってしまったので、メレフに語る気がないなら、今度は黙っているつもりだった。
 カグツチとサイカ、そして仲間たちの視線を受け、メレフは「そうだな」と口許に指先を当てる。

「私がカグツチと同調したのは、私の八歳の誕生日だった」

 その言葉に、仲間たちは異口同音に「え?」と耳を疑うように眉を寄せる。

「そんな小さいときに!?」

 仲間たちの声を代表するようにニアが声を上げた。驚くのも無理はない。同調は、どれほど幼くとも、十歳を超えて為されるのが普通だ。それ以下の年齢では、不幸にもドライバー適正を有さなかった場合、その反作用で命を落とす確率が格段に高いと言われている。屈強な成人男性であっても、全身から血を噴き出して絶命することも珍しくないのだ。ましてメレフはスペルビア皇家長子。万が一のことを考えると、その幼さでの同調は危険が高すぎる。そういう意味で、彼らの驚愕は理に敵っている。

「まあ、色々と事情があってな」

 仲間たちの表情からそれを読み取ったメレフは、含みのある声で微笑んだ。詳細を語る気がないのを察して、カグツチもまた沈黙を貫く。首を捻るばかりの子どもたちの一方で、ジークの右目が何かを悟ったように細められた。何を想像したのかは知らないが、つまらなそうな表情を見るにおそらく正解に行きついている。
 メレフの過去――かつて、第一皇位継承者、すなわち次期皇帝となるべく、男性として育てられていたこと――を、知っているのだろう。その事実はかつて、スペルビア皇家の醜聞スキャンダルとしてアルストを走った。
 だからだろうか、その事情を尋ねたそうな、けれど遠慮した方がよさそうな、といったどっちつかずの様子の子どもたちを押しのけるように、次なる質問を投げ掛けてきたのはジークであった。

「そんで、カグツチ。どうやったんや、メレフの第一印象」
「……そう、ね」

 メレフを窺ってみる。拒否する表情ではなかった。切れ長の目の真ん中で、光を弾く瞳が普段より大きくなっているのは、彼女も興味があるからだろうか。そういえば、同調した時の第一印象、など、話したことはなかった。ならばと、十五年を超える昔のその瞬間を、瞼の裏に描き出す。それは懐古と成り果ててなお鮮やかに。
 沈黙するコア・クリスタルでしかなかったこの魂が、何者かの魂に触れて、急速に肉体を得る。浮上する意識。構築されていく知識。思い出を何一つ持たないまっさらな自我が組み上がる。自身が炎を操るブレイドであること。カグツチという名を持っていること。ドライバーのために生きていくこと。ただそれだけを持って、カグツチはこの世界に幾度目かの生を受けた。
 真白の記憶にまず描かれたのは――
 そのとき、ラウンジ内に入って来た[[rb:乗組員 > クルー]]が、夕食の支度が出来たことを告げた。思いがけず話し込んでいたようだ。もうそんな時間か、と真っ先に立ち上がったのはメレフで、カグツチもそれに倣う。話は一旦打ち切りだ。わくわくしてカグツチの言葉を待っていたレックスたちは、話を聞きそびれてしまったことを不満そうにしながらも、ジークとサイカに促されて同様に食堂へと歩き出した。

「でもさ、そんなに小さい時から一緒なら、カグツチがメレフに甘いのもまあ納得かなー」

 カグツチの後方で腕を組んでしたり顔をするのはニアで、彼女の隣を歩くレックスも頷いている。

「ああ。それに、息ぴったりなのも納得。ホムラ、オレたちも頑張ろうぜ」
「はい!」
「ふふ、ありがとう」

 褒め言葉は有難く受け取っておく。カグツチの前方を行くメレフにも、子どもたちの言葉が聞こえているらしい。黙ったまま帽子の角度を整えており、それをジークにからかわれている。真っ直ぐに伸びた背中から、照れ隠しの苦い顔が見えるようだ。
 変わらないとしみじみ思う。幼い時からずっと、その背中は凛と伸びて、胸を張って。
 けれど、実のことを言えば、それが一度だけ、折れそうに丸くなったことがある。
 誰に話すつもりもない。ただメレフとカグツチの記憶の中にだけ、その出来事は眠っている。日記に残してしまったことだけは、許してもらわなければならないが。
 けれどカグツチにとって、それは絶対に書き記さねばならない重要な転機だったのだから仕方がない。
 なにせその日が訪れるまで、ドライバーとブレイドの関係でありながら、二人の間には、メレフが作って、カグツチが壊せなかった、透明な壁があったのだから。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 その頃、メレフは少年だった。
 光を弾く黒髪は短く、服装は必ず男児のもの。言葉は堂々とした男性口調が板に付き、声は子ども特有の高さはあれど、女児らしい甘さは排されている。自己紹介では必ず皇子と名乗り、美しく着飾ることはせず、学問と剣術をひたすらに磨き、練習中のダンス・ステップも男性側リード。その徹底振りと言ったら、カグツチでさえ、同調直後は彼女の性別を誤認していたほどだ。もっとも、流石に同調から三日を迎える前には気が付いていたが。

「わたしもまだまだだな」

 それを告げた時、メレフは残念そうにそう言った。
 過去の自身の日記をある程度読み、また皇帝リカルドゥスから現スペルビア皇室の事情を説明され、触れていいのか迷っていたメレフの偽りを問いかけたのが同調から二十日経った、彼女の学問の休憩時間であった。

「うまく誤魔化せていると思っていたのだが」
「……最初こそ、騙されましたけれども。三日も経てば気が付きましたよ、メレフ様」
「なお良くないな。どこで分かってしまったか、教えてくれ。直さないと」

 生真面目に問われて言葉を失うカグツチに、メレフは「知っているだろう?」と、そのとき机の上に置かれていたスペルビア史の教科書の表紙を撫でた。

「わたしが男でないと、スペルビアにとって都合が悪いのだ」

 皇統は男子継承がスペルビアの慣例。けれども現皇帝リカルドゥスに実子はおらず、その実弟ヘンドリクスは六年前に戦死した。何の偶然か傍系も女児ばかりで正当なる皇位継承権を持つ男児はおらず、そしてリカルドゥスが下した決断は、最も正統に近い血を持つ、まだ物心がつく前の姪・メレフを養子として皇室に引き取り、男児として育てることであった。
 異例とも言える幼さでカグツチと同調した背景もそれであるという。いくら男児として育てられ、そう振る舞おうとも、その肉体はあくまで女児。メレフが皇統を継ぐことに反対する声を、代々スペルビア皇家に伝えられてきた、帝国の宝珠たるカグツチと早々に同調させることによって、既成事実的に黙らせようとする、政治的意図がそこにはあった。
 それを知ったとき、カグツチの胸中には幾つものささくれが突き刺さったような不快が生じたのに、当のメレフは、そう育てられた通りに男として振る舞い、また男に為りきれない自分を恥じている。

「メレフ様は……それで、よろしいのですか?」
「なにがだ?」

 カグツチが覚えた遣り切れない痛みを、まるで身勝手だと切り捨てるようにに、メレフは心底不思議そうに首をかたむけた。

「わたしは、帝国スペルビアのために生まれてきた。だから、役割を果たさないと。それが、わたしの命の意味なのだから」

 無垢に、無邪気に、ただひたすら真っ直ぐ琥珀色の双眸を煌めかせて、少年・・は笑う。
 そんな風に言い切られてしまっては、そう道を定められたメレフの人生を、可哀想だと痛みを覚えることこそが、最大級の非礼であるようにしか思えなくなって、カグツチは言葉を紡げなくなってしまう。
 剣術の時間だと言って場を去る幼い背中に、手は伸ばせなかった。
 メレフ自身がそれを望まないと、知ってしまったので。
 


 メレフに定められた生き方に、思うことはある。言いたいこともある。納得など全くしていない。
 それでもメレフ自身がその生き方を望むなら、カグツチはその道に寄り添おうと決めた。国の為ではなく、メレフの為に。
 叶うなら、どうか自由に生きて欲しいと。敷かれた道を懸命に歩む幼いドライバーにどうしたって覚えてしまう、無礼な願いに蓋をして。
 


「皇帝たるにふさわしい人間にならなければならないのだ」

 メレフはたびたび、カグツチにそう言った。

「そして、おまえのドライバーにふさわしい人間に」

 彼女にとってその二点は等価の線で結ばれており、そのために肩肘を張ることを、義務と認識しているように見えた。そしてメレフは言葉通り、日が昇ってから落ちるまで、暮れてからも眠るまで、定められたスケジュール以外にも、自習と訓練を繰り返していた。
 メレフの離宮に仕える女中や兵士たち、家庭教師に剣術師範――彼らは口を揃えて、カグツチ様と同調されてから、メレフ様は以前にも増して張り切っておいでですと称賛する。そうだろうか。同調する以前のメレフをカグツチは知らないが、いくら高貴な血といえど、たった八年しか生きていない少女が、生まれ持った性を偽って少年として、誰に甘えることも愚痴の一つを吐くこともせずしゃかりきに前だけを見るその姿を、確かに美しく誇らしいものではあるけれど、全肯定してしまって良いものだとは、カグツチには思えなかった。
 いまだって、バルコニーで一人夜空を眺める小さな肩は、力の抜き方を忘れたように張られているというのに。

「メレフ様。そのような薄着では、お風邪を召されますよ」

 ケープをその肩に羽織らせ、失礼しますと傍らに陣取る。吹き荒れる砂塵に悩まされることも多いスペルビアで、珍しく風は凪いで、空は透明だった。星月夜で、遠くから世界樹の光が夜に零れていた。メレフはカグツチを見上げると、少し躊躇ったのち、半歩だけ距離を詰めた。カグツチの傍が暖かいらしかった。

「明日はお休みですね。何か、したいことはございませんか」
「うん……」メレフは少し考えて、緩く首を振った。「特には。よく眠って、本でも読んですごそうと思う」

 ああ、音楽もいいな、と自身を見上げるメレフに、カグツチは優しく微笑みかける。

「よろしければ、街へ出掛けませんか?」
「街?」
「ええ、お忍びで。私がおりますので、心配することはございません。許可は、私が取り付けましょう」

 街か、と、少しだけ上擦った声が繰り返す。わくわくしたように瞬きを繰り返し、けれどメレフは結局、ゆっくりと首を横に振った。

「いや。おまえにも、色々なところにも手間をかけてしまうだろう。行くなら、カグツチがひとりで行ってきたらいい」

 きっぱりと拒絶されてしまい、カグツチもそうですかと引き下がるしか出来ない。これでカグツチがメレフ様と共にではないと意味はないのです、と強行出来る性格なら、あるいはそれで折れてくれるメレフなら話はもっと簡単なのだが、体の距離以上に横たわる遠さがそれを許さなかった。
 その肩が背負う重責を、代わりに背負ってあげることはカグツチには出来ない。ドライバーとブレイドで、主人と従者だ。種族も立場も違うカグツチが願って叶うのは、せいぜい、ほんの一時、甘えさせてその重荷を忘れさせる程度であるのに、メレフはそれすら頑として、実現させてくれはしない。

「メレフ様」

 おもむろにカグツチは、メレフに向き直って膝を折った。突然低くなったカグツチの目線に、メレフは驚いたように瞬きを繰り返す。メレフの片足が、先程近づいた一歩分、後ずさった。

「私は、あなたの従者ブレイドです。――あなたに寄り添うことこそが、その務め」

 私は頼りありませんか。私は信用なりませんか。そんな言葉は発せなかった。突き詰めればカグツチの身勝手でしかないこの感情を、ただでさえ幾重もの責を与えられたその肩に、さらに上乗せする愚行など出来ようはずもなかった。それでも、メレフと同調して生を受けたこの身は、戦闘においてエーテルエネルギーを彼女に供給するためだけの存在ではないのだ。
 どうか伝われと願う言葉は、けれどメレフには届かない。あるいは、届いて無視をされているのか。近づきたいと望んだ分だけ、彼女はいつも距離を取る。
 そしてメレフの瞳はいつも、国を思って、信じた未来へ向かって、真っ直ぐに光っているのだ。

「ああ、分かっている。おまえがいてくれるから、わたしはいつも、おまえの主人ドライバーとして、努力せねばと思えるのだ」

 違うのですと言えないのは、自身の臆病ゆえか。胸を張って見せるメレフは、主人ドライバーとしてカグツチには依らずに一人で立っていることが自身の責務であると、そこに透明な距離を保つことこそが自身をカグツチの主人ドライバーたらしめていると、硬く信じているようだった。


 
 その後二年の間、そうやって距離は保たれた。
 皇帝たらんと、カグツチに相応しいドライバーたらんと。メレフは努力を怠らず、カグツチは常に、そんなメレフの傍らに在った。
 ドライバーとブレイドとして、信頼関係は築けていた。けれどそれ以上の何かは生まれなかった。幼く生真面目すぎる故に視野狭窄に陥っているメレフが頑なに保持する壁を、カグツチは壊せなかった。彼女の望む生き方に寄り添おうと決めた、その決意が、彼女の望まない暴挙を許さなかった。
 それでも踏み込めばよかったと、無理矢理にでも寄り掛かり方を教えればよかったと、後悔はいつも遅れてやってくる。
 過去の自分が抱いた数多の後悔を日記の記録に読んでなお、今の自分が経験するまで、カグツチはそれに気付けなかった。

 
 そして、二年。
 メレフが十歳を迎えた年の、良く晴れた空の高い日に。


 
 ――スペルビア皇室待望の、男児が誕生した。

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