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Dear, my dear.

ゼノブレイド2非公式二次小説置き場。 ジクメレ・カグメレ等メレフ中心。 管理人:琉

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My first, My only, Just you


 インヴィディア烈王国の一端に位置するフレースヴェルグの村、その中心地たる出発の広場に店を構える酒場・ヴァーゲルは、昼日中には深煎り・クロ・コーヒーやセリオスティーを提供する憩いの場だ。お子様たちのため、メニューにはバニラの風味が甘く香るダール豆乳シェイクまで載せている健全なカフェである。しかし日が暮れ、大人の時間となる頃には、本来の姿である傭兵たちの酒場へと変貌する。明日の任務の前に同胞と一杯、あるいは既に任務を終え、無事の帰還を祝って仲間と一杯、特に口実はないが酒好きどもが集まって更に一杯、と、フレースヴェルグに籍を置く傭兵たちが、思い思いにグラスを掲げ、騒ぎ、歌い、乾杯を繰り返している。
 その喧騒の只中で、木目の荒い小さな丸テーブル――常設されている食事用のものではなく、酒盛りの時間にのみ臨時で設置される、2,3人が酒とつまみを楽しむためのもの――を挟んで、ジークはメレフと相対していた。二人を取り囲むように立つギャラリーは7人ほど、スペルビア人とノポン人が一人ずつ、後は屈強なインヴィディア人だ。彼らの目線は、ジークとメレフの手元に注がれている。
 そこにあるのは当然、インヴィディアの酒が入ったグラス、ではない。いや、確かに酒の入ったグラスではあるのだが、世間一般の、普通の酒飲みの光景ではなかった。
 口許に指を当て、しばし長考していたメレフの手が動いた。ギャラリーからおお、と歓声が上がる。

「……あ」

 小さく声を上げ、見落としていた手にジークの頬が苦々しく歪む。
 ビショップとナイトの両取りフォークだ。攻め手に使う予定のナイトは守りたいが、ポーンとビショップの交換はなかなかに分が悪い。読めない手ではなかったはずなのに、酒が入った頭は自覚できない部分で判断が鈍っているようだ。

「どうぞ。お前の番だ」

 有利な勝負を持ち掛けたメレフの声は楽しそうである。ジークはしばし黙り込み、盤上をじっくりと睨み、受けんと仕方ないかと諦めて彼女のポーンを取る。そのビショップを取られ、その隙にナイトを逃がしながら攻める。
 取った相手の駒は自分の手元に置いてゲームから除外するのが通常だ。が、それは普通のチェスであれば、の話である。ジークはポーン――正確に描写すれば、ポーンと見なすことにした形状のショットグラス――を一気に煽った。赤ワインの風味が口腔から鼻に抜ける。その空いたグラスを手元に置く。恨めし気にメレフを見やれば、メレフもまた、ビショップと見なすことにした形状のショットグラスを口に付けていた。少々躊躇うそぶりを見せていたものの、ギャラリーに囃されて勢いのままに煽る。そして軍帽の鍔から見え隠れする目が強気に光ってジークに笑いかけた。

 
 話は少々時を遡る。

 
 フレースヴェルグ傭兵団は、レックスの束ねる傭兵団である。ヴァンダムと言う名のインヴィディア人により興り、また彼が纏め上げていたのを、彼の死後、ヴァンダム本人の意向によってレックスに引き継がれたのだという。天の聖杯のドライバーと言え、若干15歳のリベラリタス人であるレックスがなぜ後釜に選ばれたのかについて、ジークは詳しい事情は知らない。ただ、初めに青の岸壁でレックスを試して剣を交えた際には彼に助力していたヴァンダムという男は、ヒカリが目覚める契機となったイーラの襲来によって落命した、という事実をうっすらと聞いた程度である。
 経緯はともかくにして、団長になったのだから、と、決して悠長ではない旅の途中、様子を確認したいというレックスの意向により、このフレースヴェルグの村に到着したのが今日の朝だ。それから傭兵団を実質的に取りまとめるユウとズオから、レックスがヴァンダムの後継だとまだ認めていない者もいる、という話を聞き、彼らにレックスの実力を見せることになったのが昼の話。そういうことなら自分は手を出さない方がいいだろうと傍観を決め込むことにしたジークは、同じくスペルビア軍人としてインヴィディアの傭兵団の運営に関わる気はないメレフと共に、酒場ヴァーゲルで暇を潰していたのだが、その時店主ジャルディに依頼され、最近村の周囲に出没して困っているというモンスターの討伐を請け負った。
 数こそ少々多かったが、ジークとメレフの手にかかれば苦戦する相手でもなかった。卒なく討伐を終え村に帰り、力試しを無事終え認められたレックスたちと合流したのが夕刻。ジャルディから報酬代わりに夕食を馳走になり、子どもたちは健全な時間のうちに宿へ戻っていった。一方のジークは報酬のついでとして今夜の酒を安くしてもらい、カウンターに席を移してフレースヴェルグの男どもと酒盛りを楽しんでいた。この村からすれば完全なる余所者のジークであるが、生来の気安さとてらいの無さで、一杯目のショットグラスを飲み干す頃にはすっかり場に打ち解けていた。その代わり、屈強な男どもに囲まれて、付きうてられんわ、とサイカには逃げられてしまったが。

「……ジーク。何なんだ、その飲み方は」

 フレースヴェルグの傭兵たちと飲めや歌えやを楽しんでいたジークに、背後から呆れ声が掛けられる。振り返れば普段通り軍服軍帽姿のメレフが、理解に苦しむと言いたげに口許を引き攣らせて喧騒の中佇んでいた。

「おう、メレフ。 ん? なんや、一人か?」

 気軽に応じて、彼女が一人であることに首を傾げる。食事後、せっかくの機会だからインヴィディアの商店を見てみたい、と、子どもたちよりも早く、カグツチと共に酒場を出て行ったはずだ。

「カグツチは先に帰らせた。お前がまだいるならと思って来てみたんだが……」

 先程までジークの肩をばんばん叩いていた左隣の男が気を利かせて席を空けてくれる。男に礼を言いながら、メレフはその椅子に座り、ジークの手元を眉根を寄せて一瞥する。右手にストレートのテキーラを注いだショットグラス、左手に摘まんだ串切りのライムと、親指と人差し指の付け根を濡らして置いた岩塩ソルティソイル

「軍人さんは知らねぇのか? これはな、こうやって飲むんだぜ」

 ジークを挟んでメレフの反対側に座っていた男が話に割り込み、頼んでもいないのに実演する。手に置いた塩を舐め、間髪入れずにライムの果汁を啜る。そしてショットグラスのテキーラを一気に飲み干す。空になったグラスをカウンターに置き、間髪入れずに塩、ライム、二杯目のテキーラ。もう一度。繰り返して四回目。「オヤジィ!」とジャルディに赤ら顔を向け、「わーってるって」と差し出されたビールを美味そうに飲んだ後更に同じ動作を二回。計六杯分のショットグラスを軽々飲み干した男に、先程同じことをしていたジークはええ飲みっぷりやなあと気持ちよく感心するが、一方のメレフは信じられないと書いた顔で呆然と口を軽く開けている。
 その顔が可笑しくてつい笑った。

「なんや、ドン引きってか?」
「あ、いや……」

 未だ衝撃から帰らずといった様子で言葉を探すメレフに、先程メレフに席を譲った男が腕を組んで声を上げた。

「ん? あんたスペルビアの軍人だろ? これスペルビアン・スタイルだぜ? この村にも、昔スペルビアから流れ着いた奴が広めたんだが」
「確かに、テキーラは我が国の酒だが……こんな飲み方スタイルは…」

 困惑を極めているメレフに、苦笑しながらジークは助け舟を出した。

「あーおっちゃん、こいつな、育ちも暮らしもええんや。こないな荒くれモンの飲み方なんぞ知らんて」

 この反応を見るに、おそらく熟成させた上等なものを舐めるように飲むか、せいぜい割り物カクテルにする程度しか知識にも経験にもないことは想像に難くない。よしんば知識にあったとして、ここまで過激なものだとは思っていなかったのだろう。
 はっはー、と、周囲の男どもがどっと沸いた。

「なんだ、エリート様ってか。どうりで優雅だと思ったぜ」
「だったらせっかく知ったんだ、自分とこの酒を試していけよ」
「インヴィディアでスペルビアの再発見とは、なかなか面白いじゃねえか」

 面白そうに発される言葉は字面だけを見たら敵国のエリート軍人に対する嫌味だが、彼らにそんな意図は毛頭ない。この程度のデリカシーの無さと距離感の欠如と刹那主義は酒場で出来上がった男どもの標準装備である。でなければいくら依頼次第でどの国家の味方にもなる傭兵の村とはいえ、インヴィディアでスペルビアン・スタイルが流行ったりしない。メレフもそれくらいは分かっているのだろう、特に気分を害した様子もなく、そうだな、と息を吐いた。

「一理ある。店主、私も頂こう」
「おい、大丈夫か?」

 流石のジークも少々不安になって耳打ちする。知り合ってまだ日が浅く、メレフの酒の強さはよく知らないが、これは相当に『やばい』飲み方スタイルだ。ジークの言いたいことを悟ったらしいメレフは、分かっている、とジークを一瞥して、手袋を外しながらカウンターへ向き直った。

「味を試す程度にさせてもらうよ。一杯だけで遠慮しておこう。それと、店主、テキーラはハーフで頼む。チェイサーも水でいい」

 慎ましい注文に周囲からはブーイングが上がったが、メレフは涼しい顔でそれらを無視した。それもジークがついでに自分の分として新しくウイスキーを注文すると、続けとばかりに俺も俺もと新たな酒を所望する声に変わる。

「偏見はよそうと思っていたのだが……やはり傭兵とはこういうものなのか?」

 左右を見渡しながら声を落として、ジークに耳打ちするようにメレフは溜息を吐く。

「どうなんやろな。ワイがアルストを巡った限り、どこの傭兵団の拠点も似たようなノリやったで。まあ、ここはちぃと過激な方やな」

 ちなみにジークが初めてスペルビアン・スタイルのテキーラショットを目にした時は今のメレフと同じような反応をした。メレフよりは興味が勝って面白がって真似をして案外いけるやんけと嵌り、また余計なこと覚えてとサイカに説教を食らったが。
 そうか、といまいち感情の読めない相槌をメレフが返した時、彼女の目の前にショットグラスが置かれた。中身はメレフの注文通りテキーラのハーフ。ライムと塩はジークの手元にあった分を差し出す。

「どうすればいい?」
「あー、まずここや」メレフの左手を上向かせ、親指と人差し指の付け根を指差す。「ここを果汁で少し湿らせて塩を置いて、で、ライムを摘まむんや」

 硬い顔つきで指示に従うメレフである。こんな時でも真面目だ。

「後はさっきおっちゃんがやっとった通りや。塩舐めて、ライムを齧って、一気に飲む」

 手元に先程注文したウイスキーが届く。気泡のない丸氷の入ったロック。それをひと舐めしてから、覚悟を決めている様子のメレフを楽しく観察する。飲み方を教えて反応を見るのは、酒飲みの楽しみの一つであるとジークは思っている。しかし連続で飲むわけでもないのだからそこまで気張らずとも良いだろうに。
 掌の塩を見つめていたメレフは、ふうと息を吐くと、ジークの目線から隠れるように、顔を背けてそれを舐めた。なるほど、手のものを舐める姿を他人ジークに見られるのを躊躇っていたらしい。次いでライムを齧り、ショットグラスを一気に煽った。齧ったライムをそれ用の皿に置き、店主が気遣いで差し出した手拭いで左手を拭き取りながら、口内の味を確認するように唇が微かに動いている。それに気付いて、ジークは声をかけた。

「メレフ、これは味わう酒と違うで。一気に飲み干す奴や」

 指摘を受けたメレフの喉が上下した。ひとつ深呼吸して、水に口を付ける。

「なるほど」

 と、何やら得心したようにメレフは頷いた。

「案外飲めてしまうな。もっと焼けるような感じを強く受けるかと思っていたが……」
「ああ、塩とライムで誤魔化されるんやろうな。せやから一気に飲めてしまう分なおさらタチの悪い酒や」

 そのタチの悪い酒を存分に楽しんでいるインヴィディアの傭兵たちを見やりながら笑う。ところで横の男がジークの記憶の限り今飲み干したもので十杯目を超えているが大丈夫なのだろうか。

「うん、まあ、理解した」

 ジークが見やった男をメレフもまた視線だけで見、先程と同じような呆れ顔で頬杖を付く。

「絵面は強烈だが、要するにカクテルだな。テキーラ本来の細かい風味は飛ぶが、その分口の中で果汁と塩と混じって別の味になる」
「もとは質の悪い酒を誤魔化す飲み方らしいで。ええ奴でやる飲み方やないのは間違いないな」
「なるほど」

 だから本当に上流階級であるメレフには縁のない酒である。その理屈で言うならジークにも本来縁がない酒であるのだが、疑いようのないエリートであるメレフと違ってこっちは放蕩息子だ。国を出て十年、必要なことと世界の実情の他に、知る必要のなかった余計なことを山ほど覚えた自覚はある。
 しかしそんなジークの人生経験を以てしても、一人の男が言い出したその飲み方スタイルは初めてお目にかかるものだった。

「そうだ、せっかくだ、インヴィディアの飲み方スタイルをスペルビア人の二人に教えてやろうぜ」

 言い出したのはメレフの隣で二人の会話をおかしそうに聞いていた大男だ。こめかみに鱗を光らせながらにやにやと笑っている。更にその隣に座っていた男と、ジークの隣で十二杯目を飲み干した男もまた「名案だな」と賛成した。

「なんや? あとワイはスペルビア人違うで。ルクスリア人や」
「そうなのか? がはは、悪ぃな、ルクスリアの兄ちゃん。ルクスリア人なんか滅多に見ねえからな、許してくれや」
「ってことはその喋り方はルクスリアの方言ことばか?」
「いやこれはワイのブレイドの口調が移ってもうて……って、おっちゃん、聞いとるか?」

 何やら勝手に盛り上がっているインヴィディアの男どもに置いてけぼりを食らい、ジークは眉根を寄せた。同じく困惑しているメレフと、何だ? 知らん、と目線で会話し、「国際交流ってやつだな!」などと大声で笑う男たちと、苦笑しながら棚の中を漁る店主ジャルディを交互に眺めた。

「お、あったあった」

 しばらくごそごそと何やら探していたジャルディがやがてジークとメレフの前に差し出したものは、二人の予想を大きく外したものであった。

「……チェスボード?」

 メレフが疑問符を上げて首をかたむける。
 白と黒の正方形が交互に並ぶ8マス×8マスの64マス。チェス盤以外の何物でもない。だが、ジーク達の良く知るチェス盤とは少し違っていた。まず、材質は木ではなく薄い樹脂を加工したものだ。厚さは指先程もなく、スタンダードな木製のチェス盤のように折り畳める作りにもなっていない。また、マス目が普通のものより大きい気がする。何より駒がない。
 ……駒?

「なあ、おっちゃん。ワイの想像がアホやったらええんやけどな、これ、このチェスの駒ってまさか……」

 さしものジークも恐る恐るチェス盤を指差して周囲の男たちに確認する。
 果たしてジャルディは大笑いしながら大量のショットグラスを持ち出すことでジークを肯定した。

「そうだ。酒の入ったグラスをチェスの駒にして、取っていくたびに飲むんだ」
「インヴィディア人らしい知的で風流な飲み方だろ?」

 ジャルディの横からすっかり出来上がった男が口を挟む。
 ジークは思わず額に手を当てて天井を仰いだ。

「誰やねんこんなもん考え付いた奴は、発想が最高に頭悪いな!」

 思わず口を突いていた素直な感想は呆れ半分賞賛半分である。取り敢えず、常人の思い付きではない。これに比べたらメレフが言った通り実質カクテルでしかないスペルビアン・スタイルはまだ理解が追い付く。だがこれは何だろう。なぜ思考とロジックのゲームであるチェスで酒を飲もうとする。ああ強い方が酔っぱらって上手く考えられんくなるええハンデってか? それなら案外理に叶ったルール……なわけがない。どこかの天才的な酒飲みの阿呆が思いついて同じような阿呆によって伝播されただろう阿呆の結晶である。何が阿呆かって面白いやんけと確かに思ってしまっている自分自身が間違いなくその阿呆どもの一員である。
 自身の好奇心と酒好きに妙な絶望を覚えて溜息を吐いたジークの隣では、ジークとは違い阿呆の範疇外であるらしいメレフが完全に固まっている。眼前に出てきたものに思考が追い付いていないらしい。珍しいもんを見たと思いながら、そっと耳打ちする。

「いやインヴィディアの貴族も流石にこないな飲み方せぇへんと思うで」
「……だろうな」

 瞬きを繰り返すばかりだったメレフだが、ジークの言葉にようやっと反応した。次いで出てきた感想は「天才とはこういうもののことを言うのだろうな」だ。声に滲む呆然を翻訳すると、どこの阿呆だこれを考えた人間は、で、つまりジークと同じことを思っている。

「やってみるか? やるならそこらのテーブルを空けるように言うが」

 明らかに面白がりながら赤白のワインを用意し始めるジャルディである。いやワイはええけど、と、ちらりとメレフを見やった。
 ジークは所謂ザルである。混ぜ物をしない原酒をどれだけバカスカ飲んでも正体を失くすことはないし翌日に残ったこともない。多少火照ったり素面の時よりは思考が鈍ったりすることもあるが、ほろ酔いの範疇を抜けたことはない。なのでグラスチェスの一局くらい余裕でこなせる自信はある。何なら正直少しわくわくしている。が、問題はメレフの方だ。どれだけ飲めるのかは分からないが、平均程度の強さなら終わる頃にはへろへろになるだろう。このような場所で酒に飲まれての醜態など曝したくないに違いないと、これはジークなりのメレフへの気遣い、思い遣りであった。

「無理はせんでええと思うで、メレフ。まあ、見たところ強い方が仰山飲むルールみたいやけど」

 だが、彼はその示し方を決定的に間違えた。

「どうせこんなもん途中から勝負にもならへんくなるやろうし……」
「……ほう?」

 ジークがそれに気付いたのは、まるで陽炎がゆらりと立ち上ったような、そう喩えたくなる声で、メレフが低く笑った時だった。
 まるで政敵を威圧するように、どこか寒々しい微笑みを口許に刷いたメレフがジークに向き直る。真正面にジークを見る双眸が強く輝くのが軍帽の鍔の隙間から分かる。

「つまりお前は、チェスにおいて私がお前より弱い上、酒まで入ってしまっては私がどんな無残な負け方をするかと心配してくれているわけだ」
「ちょお待てや、なんでそうなる!?」

 ジークの抗議を無視してメレフは立ち上がる。そしてジークを見下ろす、一部のスペルビア兵が堪らないぜと舌なめずりしかねない視線を受けて、何か余計なことを言ってしまったらしいことに気付くがもう遅い。
 メレフは優美な所作で腕を組んだ。

「いいだろう、何事も経験だ。ジーク、一局やろうじゃないか」


 そして、話は冒頭に至る。

 
 対局しやすいようと場所を丸テーブルに移し(そのテーブルの先客は最初席を変わることを渋っていたが、グラスチェスの対局をすると知ると大層面白がって席を譲ってくれ、そしてギャラリーの一部になった)ショットグラスの形状により示す駒を互いに確認する。ポーンはスタンダードな円柱のショットグラス、ルークが角柱、ビショップが小さなフルートグラス、ナイトはミニサイズのゴブレット。クイーンは片方が赤で片方が青の色付きグラス。キングは表面に凝った加工が施されたショットグラスだ。
 厳正なコイントスにより、ジークが先手、メレフが後手を持った。駒にする酒は、白が白ワインとジン、黒が赤ワインとテキーラだ。ワインはポーンで、その他のルーク、ビショップ、ナイト、クイーンにスピリッツが入る。キングだけは勝者への褒美だと、ジャンティが気を利かせてなのか面白がってなのか、良い銘柄を入れてくれた。

「……しっかしやるなあ。ここまでまともに勝負になってるのを見るのは初めてかもしれん」

 盤面を覗きながらジャンティが感嘆の声を上げる。ギャラリーの同意が喧騒の中でも聞き取れる。ジークの攻めをメレフが躱し、局面は先手ジークの20手目に入ろうとしていた。

「そうなんか?」

 次の手と、返すメレフの手と、更に返す自分の手を幾通りも脳裏に浮かべながら尋ねる。真剣勝負ではあるが、どこまで行っても酒の席のお遊びだ。この程度の余裕はある。

「ああ。たいていここまで来るとどっちかが訳の分からん手を指し始めて瓦解する。酷い時には何がどの駒だったのか分からなくなったりな」
「まあ、せやろな……」

 呆れ混じりに納得し、グラスを動かした。f1からe1へ、ルーク。想定の動きだったらしい。メレフの対応は早い。f6、ポーン。先程のナイトを動かして対応する。
 お互いにそれなりに駒を取られ、つまりお互いそれなりに飲んだが、まだゲームはゲームとして成り立っている。時折妙な読み間違いはするものの、致命的なものには至らない。そういえば、移動途中、仲間たちで行うボードゲームにおいて、メレフは理屈ロジックの要求されるものにめっぽう強かったことを思い出す。元々が理性の人である。思考ゲームが得意なのも道理だろう。一方のジークも、これでも一応ルクスリア王族だ。嗜みとして恥にならない程度には指せる。勉強は嫌いだったが、ゲームは好きだったのでそれなりに真剣に取り組んだのだ。
 二国の王族・皇族による対局。こんな時でなければ、もしかしたら市井の少女がほうと息を吐くような、そういう優美な遊戯に成り得たのかもしれないとふっと思う。だが現実は、屈強な傭兵たちの村で、勢いとノリと大声が跋扈する酒場の喧騒の中で、大男たちににやにやと見守られながら、酒の入ったグラスを動かしている。
 何が悲しくてなのか楽しくてなのか判断が付かないまま、盤面は粛々と進む。25手目、後手メレフ、d5ルーク。ジークはそのルークを自身のルークで取る。中のテキーラを一気に煽る。メレフのクイーンがジークのルークを持っていった。メレフはひとつ息を吐いた後、透明に揺れるジンをゆっくりと飲んでいく。

「……メレフ、大丈夫かー?」

 盤面を睨みながら尋ねる。まだ勝敗は分からないが、油断のならない局面だ。というより、やや押されている。序盤、早くから攻撃を仕掛けたジークに対し、メレフはじっくりと防備を固めた。その差が少しずつ出てきていた。

「全く問題ない。お前は次の手の心配をしたらどうだ」

 普段よりはややゆっくりと発された、けれど呂律はしっかりした声が挑発を交えて答える。へいへい、と、もう一つ残ったルークを動かした。その隙にメレフのクイーンがポーンを持っていく。彼女は赤ワインを少々時間を掛けて飲み干した。
 案外飲めているな、と、チェスの手を考えるのとは別の思考がぼんやり思う。グラスチェスを始める前、既にかなり飲んでいたジークに対してメレフは殆ど素面だった――あのテキーラショットハーフしか彼女はアルコールを入れていなかった――ことを差し引いても、まともに思考してまともにチェスが出来ている。ジークが思っていたよりは強いのかもしれないと安易に結論して、先の心配も杞憂だったなと息を吐く。むしろ、勝手に酒に弱いと思われたことが彼女のプライドに何か障ってしまったのかもしれない。
 そこまでをつらつら考えた時、くす、と、ジークは笑声を聞いた。酒場のざわめきの中でなぜだか大きく耳に届いた、間違いなく相対するメレフの唇から漏れたものだ。

「何笑うてんねん。勝負はまだこれからやろ」
「ん? ああ、違うよ」

 有利局面を作り上げた余裕からかと思ったが、そうではないらしい。顔は盤面に向けたまま、視線だけをちらりと上げる。同じように盤面を除くメレフの顔は軍帽に隠されてしまってよく見えない。

「こんな風に酒を飲むのもチェスを指すのも、随分と久々だと思ってね」
「……『こんな風』って、こんな風に飲んだことあるんかいな」
「一応言っておくが、グラスチェスの話ではないぞ」
「そら良かった。ここに来て経験あるとか言い出したら驚くわ」

 29手目、先手ジーク、b3ポーン。後手メレフメレフ、e8ルーク。グラスを持つ指先が細いなと今更ぼんやり思う。普段手袋に覆われている爪先は丁寧に曲線を描いて、きちんと磨いているのだろう、艶やかに光って綺麗だ。

「酒もチェスも、カグツチがおるやろ、メレフには」
「そうだが、最近はそんな時間も取れていなかったんだ」

 ああ、と思い至る。インヴィディアとの緊張関係、国内で暗躍する反乱分子、そして天の聖杯の目覚め。ジークが思い浮かんだだけでもここ最近の帝国スペルベアの情勢は平和とは言い難く、メレフの苦労は察するに余りある。国を飛び出てしまった自分には慮れない心労もあるのだろう。

「それに、逆に言えばカグツチだけだ。……友と呼べる者はいなかった」

 30手目、先手ジーク、c4ポーン。

「お前の生まれなら、まあ、せやろな」

 皇族長子。軍の要人。帝国最強のドライバー。そんな彼女の人間関係は家族と主君と臣下と仕事相手と敵で大体説明がつく。唯一の例外が相棒ブレイドのカグツチで、一見主従の関係であるが内実は姉妹とか親友と表現した方が近いとジークは見ている。なぜそんなことが分かるかと言えば、ジークも似たようなものだからだ。サイカ以外に心を許して他愛ない話が出来る相手などルクスリアにはおらず、その分だけサイカが隙間を埋めるように色々な関係を内包してジークに近い。王族や皇族として生まれるとはそういうものだ。寄り添うブレイドがいてくれるだけ、ジークもメレフも恵まれている方だと言っていい。
 メレフが再度笑声を零す。少し苦笑が滲んでいた。同時に動く駒。e8ルーク。

「だから、お前が初めてだな」

 31手目、先手ジーク、c1ビショップ……に動かそうとしていた手が途中で少し止まってしまった。

「友と呼べる相手は、お前が生まれて初めてだ、ジーク」

 後手メレフ、e2ルーク。その声はそろそろ酔いが回っているのか、噛み締めるようにゆっくりと。

「これは、極めて個人的な意見になるが」

 32手目、先手ジーク、f1ルーク。何を言い出すんやこいつは。思いながらメレフの言葉をからかおうという発想はない。止めようとすら思わない。後手メレフ、c2クイーン。喧騒がやけに遠い。奇妙な静けささえ感じる中、盤面を睨みながら、無意識に聴覚を研ぎ澄ませた。何かの予感が続く言葉を聞きたがっていた。
 33手目、先手ジーク、g3クイーン。

「この旅が、どんな結末を迎えるのかは分からないが……お前という友を得ることができた。それだけで、私個人にとっては既に大きな価値がある」

 33手目、後手メレフ、a2クイーン。メレフの指が、ポーンを奪っていった、その動きがやけに緩慢に見えた。

「お前はどうだ? ジーク」
「それを今ここで聞くんか」

 ジークの手が止まる。そろそろ終わりまでの道が見え始めた。戦局はジークの不利だ。
 顎を撫でながら打開の手を考える。考えるのは次の手だけだ。返す言葉については、考える必要もない。そんなものは決まっている。

「奇遇やな。ワイも同じや」

 細かい言葉はいらない。それで伝わる。実際、メレフは満足したように吐息を零した。
 ジークは、メレフのことを結構気に入っている。歳の近さか、境遇の近さか、価値観の近さか、この旅における仲間内での立ち位置の近さか。はっきり何がとは説明できないが、彼女に対して好ましい共感を覚えていた。それは、そんなもの得られるはずがないと、無意識で諦めていたものだ。それが妙な縁でひょんなところから転がり出てきた。人生何があるか分からないものである。
 長考を終え手を伸ばす。b8クイーン、チェック。当然、キングは逃げていく。更にクイーンを動かす。

「ここに来て、ふっと、詮無いことを考えたんだ」
「詮無いこと?」

 35手目、後手メレフ、g6ビショップ。「ああ」とメレフは首肯の声を出す。

「たとえばお前がこの村にいるようなただの傭兵なら、是が非でもスペルビアに連れ帰ったのにと」
「……えらい気の早い話するやん。もう終わった後のこと考えとるんか?」

 妙におかしくなって笑う。

「私もそう思う」

 メレフもまた笑声を返す。ポーンで返事をする。h4。

「まあ、半分以上冗談だ。聞き流してくれて構わない」

 36手目、後手メレフ、g4ポーン。ということは、残り何割かは本気なのだろうか。からかおうとしてやめておく。それよりそろそろ盤面が不味い。
 だからジークも冗談で返した。

「まあ、仮にワイがただの傭兵やったとしてや。そんなワイに興味持たへんやろ、メレフは」
「ああ、そうだな、そういう問題があったな。なら、どのみち駄目か」

 否定しないのが正直だ。何か色々なものが奇跡的に近くて、その共感が友情になった。だからその前提が崩れては全て無意味だ。それは例えば、万が一そんな世界があったとして、ただの街娘として生きる彼女にはジークが何の興味も抱かないのと同じように。無二であるからこそ、何の仮定も意味はない。何らかの仮定が成り立ってしまったら、それは結局、ジークにとってメレフは、メレフにとってジークは、他の誰かと代替可能ということにしかならないのだから。逆に言えば、だからこそ、おそらくは生涯において、この唯一性は保たれる。
 ならば今以上に望むもしもなどあるわけもない。

「ま、まだこの旅も続くやろ。今度はまともなチェスを指そうや」
「ああ、そうだな。……ところでジーク、その台詞は投了と取っても?」

 37手目、先手ジーク、d3ナイト。後手メレフ、b3クイーン。ポーンを取られる。

「…せやな……。もうあかんな、これは」

 肩から大きく息を吐いた。粘ってはみたが、次のメレフの手番で詰みチェックメイトだ。脳裏でざっくりと棋譜を思い返し、やっぱりあの両取りフォークが痛かったなあと勝負を諦めて顔を上げ――ジークは目を剥いた。途端に酒場の喧騒が戻ってくる。まるで二人きりで会話をしていたかのような先程までの奇妙な静寂は完全に霧散して、その名残すら追い払うようにジーク自身が声を上げた。

「ちょ、待てメレフ、お前顔やばいで。いやそれ飲んだらあかんって、おい」

 普段なら透き通るような白さを保っているはずのメレフの頬が、橙色の照明が薄暗く照らす店内においてはっきりと分かるほど赤く染まっている。奪った赤ワインポーンに口を付け、なかなか飲めずに顔を顰めているのは体がアルコールを拒絶している段階に来ているのだろう。よく見れば首も同じように赤く、分厚い軍服の下も同じ色をしていることを窺わせる。軽く開いた唇が浅い呼吸を繰り返し、時折堪えるように目を閉じていた。ずっと盤面を睨んで会話をしていて、たまに視線を上げても軍帽に顔が隠されて気付くのが遅れたが、限界を超えているのが見た目からはっきり分かる。というかグラスばかり注視していたが指先までしっかり色付いていた。なんでこれに気付かへんねんワイは、爪綺麗やなとか思うとる場合ちゃうかったやろ絶対!
 ジークは慌ててメレフの腕を掴んだ。グラスにまだ残っていたワインが抗議のように揺れる。
 じとりと睨めつけられたが、その目も瞼が重いのか半分以上溶けていた。

「いや、メレフ、ほんまやめとき。洒落にならんで。気付かんワイが悪かった、せやからもう――」
「ここまで来てそれはないだろう」

 捕まれた右腕から自由な左手にグラスを持ち替えて、残りを自棄のように煽り、メレフは一言一言確かめるように声を上げた。

「お前の次の手は、c7クイーン。それを受けてのd7クイーンで、私の勝ちだ。ほら、最後の手を指せ」

 真っ赤な顔で、眠たげな眼で、口で呼吸をしながら、それでもいっそ凄絶にメレフは笑う。そのきらいはあると感じてはいたが、彼女の負けず嫌いを甘く見ていた。ここまで酔いが回った状態でこれだけの棋譜を作り上げた思考とそれを為した精神力は尋常ではない。流石はスペルビアの特別執権官と言うべきか――いやだから今そんなこと思うとる場合ちゃうねん。
 投了ではメレフの気が済まないと察し、気圧されるように腕を離してそのままc7クイーンを指す。とにかくさっさとこの阿呆な遊びを終わらせるべきだ。
 メレフは満足げに頷き、宣言通りのd7クイーンでジークのキングを獲った。38手目、メレフの勝利だ。おおー、と、ギャラリーが沸き立ち、メレフの勝利を称えて拍手が起こる。一方敗者のジークはほっと息を吐いた。取り敢えずこれで終いだ。メレフを宿屋ハラグガルまで連れて帰って、勘定はその後に回させてもらって、とこの後の算段を付けていたジークは、だからメレフの手がキングのグラスを持ったことに気付くのが遅れた。
 勝者への褒美、と、店主ジャンティがいい酒を入れたキングのグラス。
 最後に残った度数40度のストレート・ジン。

「あ、あかんでメレフ、それ飲んだら――」

 最早味わう余裕もとうに失くしたメレフは、勢いをつけてショットグラスを一気に煽った。
 軍服の襟から覗く赤らんだ喉が一度音を立てて上下し――グラスをテーブルに置いた、その瞬間、メレフの体は力なく傾いだ。

「メレフ!」

 雷轟の二つ名に恥じない速度で立ち上がり腕を伸ばしたジークは、どうにかその肢体を支えることに成功する。空のグラスが幾つかテーブルの上に倒れた。落ちて割れないようグラスを立て直しながら、小さなテーブルで良かったと心底安堵する。くたりと芯の抜けた首が頭部の自重を支えきれず、頭ががくりと仰け反った。その拍子に軍帽がずり落ちる。
 支える腕はそのままに傍らまで歩み寄り、自身に寄り掛からせる体勢を取らせる。先程まで浅かったはずの呼吸は深くなり、呼気はアルコールを匂わせながら熱い。同じように熱を宿して冷めない赤い頬をぺちぺちと叩いてみたが、返るのは小さな呻き声のみだ。

「おい、メレフ、おーい。メレフ―。聞こえとるかー? 目ぇ醒ましや、メーレーフー」
「…………ぅ……」
「……あかんな、これ…」

 ジークは頭を抱えたくなった。両腕はメレフを支えているので、実際には抱えられず溜息を吐く。完全に潰れて意識を失っている。勝負に勝つまでは潰れまいと堪えていた糸が切れたのだろう。強靭な精神力には舌を巻くが、使いどころが絶対に間違っている。

「おーおー潰れちまったか。頑張ったなあ」

 焦るジーク――この状態のメレフを連れ帰ったら間違いなくスペルビアが誇る蒼炎に焼かれると、命の危機を彼は感じていた――とは対照的に、ジャンティを始めとするギャラリーどもは気楽なものだ。酔い潰れる者など見慣れているのだろうが、それにしてもとジークは抗議の声を上げた。

「いや、おっちゃんたち、誰か止めろや。絶対あかん顔しとるって分かるやろこれ」
「そうは言ってもだなあ」ジャンティが後頭部を掻きながら鷹揚に答える。「顔は赤いが、棋譜も手付きもちゃんとしてるし、内容は分からんがお前さんと会話もしてるし、そこまでやばくないように見えたぜ」

 あ、あの会話は聞こえとらんかったんかと思わぬ確証を得たが、大事なのはそこではない。

「せやけどなあ」
「それに酒なんぞ、潰れて限界知って鍛えるのが男ってもんだ」
「違いねえや!」

 がはははと大笑いする男どもを見やり、ああそういう文化なんかここは、と諦観の溜息を再度大きく吐き出して、軍帽を拾い上げ、埃をはたいて被せてやった。たぶん誰が一番悪かったかと言うと、ギャラリーの男どもよりは一番近くで対面していて気付かなかったジークであって、けれど誰にも強制されていないのに限界を超えて飲み続けたメレフにも相当に責任があり、しかし彼女にそこまで意地を張らせたのはおそらくジークの不用意な言葉だったのだろう。結局やっぱり自分が悪いという結論になりそうで、ジークは三度の溜息を吐く。
 これ以上文句を言っていても仕方ない。弛緩しきったメレフを背負って立ちあがる。想像よりも重量を感じず、ジークは口を尖らせた。上背が並みのスペルビア人男性より高く、また鍛えて筋肉も付いているはずなのに妙に軽い。ついでに言うと、背中に覚える感触が一部だけひどく柔らかい。やっぱ女なんやなあとぼんやり思い、支払いは後でと店主に告げた口で、そうそう、と周囲の傭兵たちに捕捉する。

「こいつ、こんなやけど女やからな。男扱いすると怒るで。気ぃつけたってや」

 ジャンティたちがどよめく。やはり勘違いされていたらしい。たぶん女だと分かっていればギャラリーたちももう少し気遣ってくれたのだろう。言うとってもしゃーない、とジークは憂鬱を吐き出しながらハラグガルへと歩を進める。明日の朝日が拝めたらええなあと考えながら。


 
 翌日、メレフは案の定酷い二日酔いでろくに動けなかった。
 数日はフレースヴェルグに滞在する予定だったため、旅のスケジュールに問題はないこと、また、フレースヴェルグにおいてメレフの役割は何もなく、本人も何をするつもりもなかったことがせめてもの幸いである。それでもメレフを使い物にならなくしたとして、ジークは子どもたちから冷たい視線を頂く羽目になった。

「で、これおっちゃんに貰って来た薬な。二日酔いによお効くらしいで」
「…………助かる……」

 無事に朝日を拝むことに成功したジークは、宿の安ベッドで頭を抱えて長く息を吐き出すメレフに水の入ったコップと粉薬を差し出した。朝食を頂いた際、昨日の姉ちゃんに、とジャンティが分けてくれたのだ。緩慢な動作でそれを飲むメレフはひどい顔ではあったが、それでも薄く化粧を施しているのは流石と言うべきか。やはり気力と精神力の使い処を彼女はどこまでも間違えているような気がする。
 あの後、正体を失くしたメレフを宿へ連れ帰ったジークは、彼女の帰りを待っていたカグツチに、最早殺気と言って差し支えない気を向けられた。ルクスリアとは良い関係を築きたかったけど残念だわと笑ったカグツチに、違うんや話を聞いてくれと酒場での一部始終を説明した。それでも信じられないと言わんばかりの顔を崩さないカグツチと、問答に気付いてやって来たサイカと共に一旦支払いを兼ねて酒場ヴァーゲルに戻り、ジャンティたちにも口添えを貰って、どうにか状況の理解を得た。グラスチェスの盤と空になったグラスを見て、サイカは「何やねんその天才的な阿呆の産物……」とジークと全く同じ感想を零していた。

 ――これを、最後まで飲み切ったの? メレフ様が、自分の意思で? 嘘でしょう?

 それでも信じがたいと言いたげなカグツチの説明を聞くに、メレフはアルコールには弱い方なのだという。それが許される場であれば基本的に割って飲むし、ましてスピリッツやウイスキーのストレートなど殆ど口にしない。飲めて三杯が今までの限度であったという。そう言われて良く思い返せば、ジークが見たメレフの数少ない飲酒シーンは殆どワインカクテルを嗜んでいた。昨夜のメレフの言動も、酒に弱いのだと分かれば納得がいくものが多い。スペルビアン・スタイルのテキーラ・ショットを見て引いていたのはとても自分はとてもそのような飲み方が出来ないからで、その後一杯だけ試そうとした時わざわざハーフを頼んだのもシングルを飲み切る自信がなかったから、その一杯でさえ覚悟を必要としたのは強い酒に耐性がないからだ。そこまで気付いてジークは驚天動地の声を上げた。

 ――じゃあどうやって飲んだねんあいつ、三杯じゃ済まへんぞこの頭悪いチェス!
 ――だから信じられないのよ、本当に無理強いしたんじゃないでしょうね!?
 ――しかもしっかり王子に勝っとるんやろ? なんというか、凄いなあ……。

 言い争いはサイカの感想と共に、ひとまずそこまで無茶な飲み方をしたメレフの身が心配だということで一旦休戦した。夜の間はカグツチが介抱し、酷い二日酔いながら彼女の意識が戻ったのが明け方。それを聞かされたジークは、そこからカグツチによる膝詰めの説教をこってりと食らい、起きてきた子どもたちに事情を説明してブーイングを食らいながら朝食を食べた。なので、半分自業自得ではあるがジークは殆ど寝ていない。
 そしてそんなジークよりメレフの方が顔色が悪い。大げさでなく今日一日動くことは無理そうな様子だ。

「取り敢えず、詫びとくわ。気付かんで悪かったな」
「いや……。…私も、意地を張りすぎた。気にするな…」

 声に覇気がない。メレフは一言断りを入れて横になった。相当にしんどいらしい。

「ちなみに聞くけど、記憶あるか?」

 飛んでいてもおかしくないと思ったのだが、メレフは疲れ切った声で、ある、と言った。

「どうやら私は、記憶をなくすタチではないらしい。……あの棋譜も、覚えている」
「詰めまでの五手は?」
「私から、g4ポーン、d3ビショップ、b3クイーン、c7クイーン、d3クイーン」
「………正解や」

 凄いなお前、とジークは舌を巻く。潰れるまで飲んで記憶を失っていないのも凄ければ、既に泥酔状態だったあの時点でなお記憶が残るだけの理性があったのもまた凄い。
 ぐったりと目を閉じているメレフは、けれど小さく笑った。

「私を誰だと思っている。帝国の特別執権官だぞ」
「いや今それなんも関係あらへん。絶対関係あらへん」

 突っ込みながら、冗談が言えるならまあ安心かと立ち上がる。元々長居するつもりはない。

「何かあったら言いや。まあ、カグツチがおるならワイの出番はないやろうけど」

 ああ、と半分眠って半分呻いた返事を背に、欠伸を噛み殺しながら部屋を後にする。廊下でカグツチとすれ違い、まだジークに怒っている風の彼女にメレフの様子を二言三言伝えて別れる。寝不足だが、今日はレックスたちは昨日請け負った幾つかの頼まれごとを片付けるのだという。メレフの分まで戦力になれとニアに言われたので頑張るしかない。
 大欠伸をしながら、そういえば、と、昨晩の会話を思い返す。ゆったりとした深い声。スペルビアに連れ帰りたいと笑っていた。おそらくあの時点で相当に酔いが回っていて、普段なら決して剥がれることのない堅牢な理性の鎧を脱いだ、特別執権官ではなくただのメレフ・ラハットとしての本心が零れてしまったのだろう。

 ――友と呼べる相手は、お前が生まれて初めてだ、ジーク。

 あの言葉を、きっとメレフは覚えている。けれど、忘れろとは言わなかった。
 ならばジークも忘れる必要はないだろう。何より、それは純然たる事実でしかないのだから。そう結論を下して、ジークは眠気を誤魔化すために大きく伸びをした。



2018/01/22

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