しるしをつけて 2 サイドチェストに置かれた電力で光るランプのオレンジ色と、カグツチの青い炎だけが室内を照らしている。 ベッドの淵に腰かけてキスを繰り返した。触れては離れ、角度を変えてもう一度。身体が密着し、カグツチの胸の大きさと柔らかさにメレフは内心慄いていた。カグツチは左手でメレフの右頬を包み、空いている右手で肩から背中に落ちる黒髪を梳いていた。バレッタは早々に外されてしまっていたのだった。メレフもまた左手をカグツチの腰に回し、右手でその背を撫でていた。時折指先で癖の強い青髪を弄ぶと、その度にさらりとした感触が指の隙間からはらはらと流れた。顔を離して見つめ合い、優美な曲線を描くコア・クリスタルに唇を落とす。 カグツチの手がメレフの肩を押した。メレフの体は動かなかった。主君らしく堂々としようと意識するたびに肩に力が籠り、受け入れるつもりの意識を裏切って拒絶のように微動だにしない。しまった、とメレフは柳眉を下げた。拒否と受け取られてカグツチが離れてしまうことを彼女は恐れた。しかしカグツチは呆れたように笑うと再び口付けをして、唐突にメレフの脇腹をくすぐった。「なっ…⁉ こら、待っ……、カグツチ!」 素っ頓狂な声を上げて身を捩るメレフをカグツチは逃さない。身体の横のラインを十指が縦横無尽に這い回った。快感とか昂らせるとかそういう類のものでなくて単純にくすぐったい。笑いながら自身を叱るメレフにカグツチは喉の奥で笑っていた。「あら、メレフ様ったら、こんなにくすぐったがりでしたのね。初めて知りましたわ」 強制的に笑わされながらされるがままなのが悔しくてメレフもまたカグツチの首元に手を伸ばして悪戯に指を動かす。「きゃっ……⁉」甲高い声を上げてカグツチが身を引く、その反応が面白くて追い掛けると逆に胸の脇を優しく引っ掻かれて吐き出す息に声が乗った。互いをくすぐろうとする手とそれを防いで反撃を企む手が何度も触れて、捕えたり捕えられたりした。そのどさくさで羽織っていたケープを奪われたが、寒くはなかった。炎の性質を持つからか、カグツチの傍はいつだって暖かく心地よい。 女学生のようなじゃれ合いを続けるうちに、いつの間にかメレフの背は柔らかなマットレスに沈んでいた。カグツチはメレフに馬乗りになっていて、先手必勝の正しさを証明していた。圧迫感はなかった。彼女の痩躯は軽く、メレフがその気になれば簡単に押し返せた。けれどメレフはそれをしなかった。「メレフ様」 呼びかけて圧し掛かる体勢になりまたキスをするカグツチを、メレフは両手で抱き寄せて受け入れた。先の攻防戦でむやみに体力を消耗した結果彼女の体からは上手い具合に力が抜けていた。それを意図してくれたのだとやっと気付く。 触れるだけだったキスが表情を変えた。ぬらつく舌先が唇の薄い皮膚を愛撫した。メレフは肩を一瞬だけ跳ねさせたが、躊躇いがちに動くそれを自らの舌で突っついた。絡まり、口付けが深くなる。柔らかく温かいだけだったキスが唐突に暴力的なまでの鮮烈な現実感を帯びた。初めはてんでばらばらに動いていた二つの舌のタイミングが合い始める。どうすればカグツチが気持ちいのか考えながら舌を動かして、触れ合う唇の隙間から先に声を漏らしたのはカグツチの方だった。メレフは気分を良くしたが、反撃に舌を吸われ上顎を舐められると未知の刺激に体が跳ねた。メレフの弱点を見つけたカグツチが嬉しそうに笑声を呑み込んだのが触れる唇から伝わった。呼吸が苦しくなりカグツチの肩を軽く叩くと、彼女はすんなり離れてくれた。 メレフが呼吸を落ち着ける間に、カグツチもまた呼気を整えながら、メレフのシャツのボタンに手を掛けた。細い指先が器用に動いてひとつ、またひとつと丁寧にシャツをくつろげていく様をメレフは黙ったまま眺めていた。ボタンが全て外される。メレフは自ら軽く身を起こして袖口から腕を抜いた。 黒いキャミソールの上からカグツチの指がゆっくりとメレフの全身を撫でた。先程くすぐられた時とはまるで違う手付きに、メレフはぴくりと左の瞼を震わせた。声になりきらない音が吐息の中に潜み始める。カグツチが鎖骨の窪みをひと舐めして首筋から耳に掛けて舌を這わせた時、メレフは勝手に漏れようとする声を唇を引き結んで耐えねばならなかった。そのまま耳たぶを舐められた。キャミソールの下に潜り込んで素肌を直接愛撫されるのと合わせて、メレフはその刺激を大きく息を吐き出して堪えた。「カグツチ……」 目的のない呼び掛けが口を突いた。カグツチはメレフの耳朶に差し込んで掻きまわしていた舌を呆気なく引き抜いて、「はい、メレフ様」と視線を合わせた。カグツチは普段と変わらぬ穏やかな微笑を浮かべ、そこにはいつもより遥かに強い喜悦を滲ませながらメレフをじっと見つめた。見つめ返す己の表情がもはやとろけてしまっていることをメレフは自覚していた。だって仕方ないではないか。皮膚の薄い場所は神経が過敏に反応する人体のポイントで、そういう部分ばかり舌などという今まで誰にも許したことのないもので触れられて、呼吸は少しずつ荒くなっていたのだから。「お前ばかり余裕でずるいぞ…」 一方で余りに変わりないカグツチに負けず嫌いが呼び覚まされる。むくれたメレフの唇を親指でなぞって、カグツチは首をかたむけた。長い癖毛がさらりとささやかな音を立ててメレフの肌に落ちてくすぐったかった。「そう見えますか? 私はこれでもいっぱいいっぱいですのに」 言いながらカグツチはキャミソールをその下のナイトブラごとたくし上げた。肉の薄く割れた腹と、慎ましいながらも女性らしい肉感を保つ胸が照明の下に露わになる。カグツチに裸体を見られるなど、着替えを手伝ってもらう時や共に温泉に入る時を筆頭に、過去にいくらでも経験があったのに、初めて覚えた羞恥心がメレフの頬を染め上げた。「お美しいですよ」 自らの両手で胸元を隠そうとしたメレフの腕をやんわりと引き剥がして、カグツチは言った。細い指先がつい…と体の中心線を撫ぜた。あ、と小さな声が気のせいのように上がった。二つのふくらみのそれぞれの頂点で存在を主張する薄い色をした乳首が期待から既に上向いていた。カグツチはすぐにはそれに触れなかった。腹をくすぐり、控えめな乳房に指を埋めるようにふにふにと押した。埋めるほどもないのに、とどこか他人事のように、眼前の比較対象を眺めながら思った。試しにメレフも手を伸ばしてカグツチの豊かなバストに触れた。カグツチは小さく身を捩ったが、メレフの仕草をおかしそうに眺めて拒否はしなかった。想像以上の柔らかさに、愛撫と言うより感心しながら揉んでいると、「メレフ様」と名を呼ばれた。「その……。痕を付けさせて頂いても、よろしいですか?」 素肌に落ちるカグツチの髪がくすぐったいなと思いながら、メレフは頷いた。「ああ。お前の好きにしていい」「いえ、一カ所だけ」 許しを得たカグツチは迷いなくその一カ所へと唇を寄せた。左胸部、やや肉体の中央寄り。メレフの心臓がある、ちょうどその位置へ。たとえば、もう決してありはしないもしもの未来に、メレフの心臓が破損して、カグツチのコアがその代わりを果たすことになったとしたら、ちょうど半分のコアが周囲に醜い傷跡を残しながら青く光り輝く、まさにその場所。何度も吸い付かれ、その度に静寂の部屋に音が鳴った。 やがてカグツチは満足したように頷くと、痕を残した皮膚のすぐ傍で拗ねたように震えていた薄桃色の頂を口に含んだ。「……ぁっ…」 突如メレフを襲った未知の刺激に戸惑う声が上がった。茱萸の実のようになったそれをカグツチの下が弾くと、メレフは息を詰めて白い喉を仰け反らせた。そこに生じた感覚が快楽と呼ぶべきものであるという知識はメレフにはあったが、与えられたのはメレフがこれまでに気持ちよさと呼んでいたそれとはまるで違っていた。くすぐったいのを許してもらえないような、痒くて仕方のなかった部分にやっと触れてもらったような、未体験の享楽がメレフの呼気を荒げさせる。「ん、……っ、ぅ…」 親指の腹で右の乳首を優しく捏ねられると、殺そうとして失敗した呻きが吐き出す息に紛れ込んだ。神経の集中した部位を舌先が細やかな動きで幾度も弾いて時々吸った。反対の指先は焦らすように乳輪の淵を撫でながら隙を見て頂きをきゅっと摘まんだ。脊髄を通って全身を跳ねさせるその刺激に、歯の付け根から頭蓋の内側にかけてが痺れ始める。逃れようとしてもカグツチに圧し掛かられており脱出は敵わなかった。さりとて声を上げることも恥ずかしく、懸命に押し殺した吐息に熱ばかりを籠らせながらメレフは未知の悦楽に耐えた。気を紛らわせるために出来ることと言えば、彼女の背中に腕を回して長い髪を梳く感触を楽しむ程度だった。 カグツチが口を離した時、メレフは体の芯を失ってくたりとベッドに沈んでいた。再び口腔に舌の侵入を許しながら、全身を這いまわるカグツチの手を意識した。硬くしこった胸の先端を押し潰してメレフの肩を大げさに跳ねさせたカグツチは、そのまま繊手をシャツと同じ素材の柔らかいパンツに掛けた。「あ……待、…待って、くれ…」 ぎこちなくカグツチの肩を掴むと、彼女は動きを止めてメレフを見た。自身の肩からメレフの手を剥がし、リップノイズと共に手の甲にキスをしてそのまま指を絡める。その様をぼんやりと眺め、睫毛が長いなと未だに痺れる頭で思いながら、メレフは片肘を支えに上半身を起こした。「その……、このままで、いいのかな」「はい?」「いや、だから」直接的な言い回しが出来ずどうしても迂遠になる。「ええと、つまり……私はお前の主だから、なんだ、私の方がするべきのような……。それに、してらもってばかり、というのも、お前が…」 言葉の断片からメレフの意図を理解したカグツチは、口を尖らせたかと思うところりと鈴のように笑った。メレフが呆気に取られていると、勢いよく抱き付かれて二人の体がぽすんと音を立ててシーツに沈んだ。「カ……カグツチ?」 戸惑うばかりのメレフの肩口に顔をうずめ、カグツチは嬉しそうに喉の奥で笑声を噛み殺してゆるく首を振った。くすぐったさにメレフの肩が跳ねる。炎を纏う彼女の髪に熱さは感じなかった。厳密には彼女が宿す強大なエーテル流が髪を纏めた部分に寄り集まって限りなく本物に近い擬似的な炎を再現しているのだと同調直後に感心した知識を今更思い出す。笑ってばかりのカグツチに少しつまらない気持ちになって、指を差し込んで髪を解いた。エーテルの炎は霧散して、青い粒子がぱらぱらと空気に溶けた。「メレフ様さえよろしければ、このままご奉仕させて頂けませんか?」 メレフの瞼にひとつ口付けを落とした後、カグツチは言った。「だが、お前はいいのか?」「はい。……あの、正直に申しますと」 カグツチの手が再度メレフの胸に触れた。先端を指の腹でこすこすと擦られて、途端にメレフの秀麗な顔が快感に耐えて歪んだ。咄嗟に詰めた息を吐き出して、気付く。メレフの面差し覗き込むカグツチこそ、うっとりと溶けた表情をしていた。「メレフ様が気持ちよさそうなお顔をしてくださるのが、私にとってたまらなく気持ち良いのです」 恥ずかしそうに小首を傾げ、驚いて軽く目を見開いたメレフの視線から逃げるようにカグツチはまたメレフに覆い被さって唇を重ねた。閉じた唇を舐められたのを合図に大人しく開くと、歓迎を受けた侵入者は歯列の一つ一つを丁寧になぞった。溢れかかった声はそのまま喰われた。その隙に下着ごと下半身の服を脱ぎ取られる。メレフは自ら腰を浮かし、それを手伝った。自分一人一糸纏わぬ姿にされたのが気に食わなかったので、メレフはカグツチの首の後ろに手を回し、ドレスのホックを外した。ドレスを脱ぎ去って再び自分に覆いかぶさるカグツチの肌と自分の肌が触れる感触がすべすべと滑らかで心地よかった。炎を纏うオペラ・グローブは脱がせられないのかなと試しに細い二の腕に触れた。暖かいのに、熱くはない。カグツチはメレフの好奇心を微笑を以て黙認し、自身もまたメレフの下半身へと手を伸ばした。 下腹部をくすぐられたとき、メレフは咄嗟に脚を閉じていた。カグツチはそれを力付くで割るような真似はせず、臀部から太腿に掛けてを何度も何度も優しく撫でた。閉じた内股に触れるか触れないかの絶妙な愛撫を与え、メレフの緊張を上手に溶かした。やがてメレフがオペラ・グローブを外すことを諦めた頃には、秘所を守ろうとしていたしなやかな脚は抵抗の為の力を失いおずおずと開かれていた。 短い叢を掻き分けて細い中指がその場所に触れた時、くち、と小さな水音が鳴った。 咄嗟にメレフは目を瞑る。「……とろとろですよ」 声に揶揄の響きはなく、けれど嬉しそうに囁かれメレフの恥辱はいいだけ煽られた。その場所が愛液を溢れさせて下着を濡らしていたことを、彼女はとうに自覚していた。 胸よりもさらに柔らかい肉の土手を擦り上げる指の感触に摩擦は全くなかった。ぬるぬるとしてその動きを助ける液体が全て自身の分泌させたものであると思うとメレフの顔はますます真っ赤に染まる。力なく首を振ってカグツチをじいと見つめる琥珀色の瞳は半泣きだった。 隠裂をカグツチの指が確かめるように何度も撫ぜる。入り口付近でくるくると円を描き、震える陰核に粘液をまぶしていく。その度にメレフの内側から新たな愛液が溢れてカグツチの指を汚した。恥ずかしい。気持ちいい。その二つの感覚が暴れる心臓の内側でとぐろを巻いて、乱れた息で懸命に声を殺すメレフの思考を今にも灼き切ろうとしていた。「あっ……!?」 肉芯をくにくにと弄られた時、メレフはとうとう甘やかな声を上げていた。鋭い快感が背筋を駆け抜ける。当初は断続的に肉体を走った快楽の信号が、刺激を受けるたび加速度的に身体を跳ねさせる間隔が短くなった。特に人差し指と中指で抓まれたまま指先を震えさせられると、堪えきれない切なさが全身から噴き出る汗になった。耐え切れず逃げようとして許されなかった。肉の薄い腰が刺激から逃れようとぎこちなく浮いたが、それはカグツチの指に更に自身を押し付ける仕草となって、もっと欲しいと強請る姿にしかならなかった。「…んっ……ぁ、…っぅ……んん…、…」 震えながらシーツにしがみつく。堪えるのに失敗した喘ぎ声が小さく漏れ始める。放置されたまま天井を向いていた乳首を甘噛みされると、普段は低く落ち着いたメレフの喉からは子犬のような鼻に掛かった悲鳴が上がった。 ぐずるように首を振りながら、メレフはやめてくれとは言わなかった。それを口にしてしまったら、カグツチは本当に全ての動きを止めて服を着せてくれることを知っていた。 痩躯をがくがくと震わせていた刺激が止まる。口付けを交わす。初めの頃の優しさは忘れられようとしていて、深く荒い。求めてくれることが嬉しくて、メレフは自らカグツチの舌を吸った。 肉芽から離れていた細い指が何かを探して秘所をまさぐる。そして、肉厚の壁に隠されていた、カグツチの舌が上顎や歯の付け根や舌の裏側を突っつくたびにこぽりと蜜を溢れさせている致命的なその場所を探し当てた。 だが、その指先は戸惑っていた。爪の先が確かに挿し込まれようとした、それを察知したメレフが肩を震わせながらせっかく覚悟を決めたのにあっさりと離れてしまう。「メレフ様……」 口付けを解いて、カグツチは窺うようにメレフの瞳を覗き込んだ。困ったように眉が下がり、白い肌に美しく影を落とす長い睫毛が震えている。メレフは両手を伸ばし、その滑らかな頬を包んだ。上手く力が入らない腹筋を叱咤して身を起こし、触れるだけのキスをした。「……私が望む限りの全てを、と言ってくれたじゃないか」 心臓がうるさかった。呼吸の方法は相変わらず忘れたままで、ひとつ吸ってひとつ吐く、たったそれだけのことが普段通りにできずに息苦しかった。けれどメレフは満たされようとしていた。そのための方法はもう分かっていた。「私は、お前が求めてくれる全てが欲しいよ」「メレフ様っ…!」 感極まった声がメレフを呼んだ。メレフは笑ってカグツチの肩を抱き寄せた。しがみつくようにして何度も口付けをした。首筋を舐められればお返しに耳たぶを食んだ。 カグツチの指がゆっくりとメレフの内側に入り込んだ。 痛みはなかった。圧迫感も。カグツチの指の細さでは微かな異物感を覚える程度で、メレフは拍子抜けするほどすんなりと彼女を受け入れた。どろどろに溶けきった内側はメレフの意志とは無関係に収縮して嬉しそうにカグツチを銜え込んでいた。「痛くは……ありませんか?」「平気だ…。っん……、お前の、好きに、してくれ」 中指の根本までを埋め込んで、カグツチは丁寧な所作でメレフの内部を探求した。肉壁を擦られるたびにメレフの背中にぞわぞわとした震えが襲い掛かった。花芯を刺激されていた時とは違う、とろ火で炙られて自覚せぬまま逃げ道を失うような、じわじわと心臓を満たしていく快感だった。 内部の様々な場所をまさぐっていたカグツチの指がとある一点を押した瞬間、性感を溜めていく容器そのものを壊されたような快感が脳髄から足の爪先までを走ってメレフの視界を真っ白に染め上げた。「……ここですね、メレフ様」 はくはくと声も出せずに唇を開閉させたメレフを見て、カグツチはそのポイントを執拗に責め始めた。カグツチの指が曲がるたびにぎくんと腰が跳ねた。それだけで堪らないのに鎖骨を舐められてもう駄目だった。メレフの薄い唇から甲高い声が溢れた。「あっ……! 駄目、だっ…カグツチぃ……」「好きにしていいと仰って頂きました。気持ちよいのですね?」「んんっ……。…そこ、はっ……無理…!」「とてもお可愛らしいです、メレフ様……。お声を、もっと…お聞かせください……」 カグツチの声がサディスティックな喜悦を宿す。それに頓着している余裕はメレフにはなかった。大粒の汗を浮かべながら堪えきれない刺激をどうにか薄めようと首を振る、長い黒髪が頬に張り付いてカグツチの指が責め立てるそれとはまるで真逆の優しさをもってそれを払ってくれる。「ぅん…んっ……、あぁ……カ、グツチ……」「メレフ様。メレフさま……」 触れ合う熱を共有し、互いの境界が分からなくなる。懸命に名前を呼んで答えがあったところが相手なのだと輪郭を再認識してそれもすぐさま溶けてしまう。灼ける思考で、涙目の視界で、熱と性感ばかりが鮮烈で、何もかもが曖昧だった。肌の触れる場所が全て二人分融解してベッドの上で乱れる一つの名前のない何かになる。絶えずカグツチの名を呼びながら、そんな境界線などなくていいとメレフは心底思った。カグツチが与えてくれる全てがメレフを満たして、ドライバーとブレイドだとか、現在と過去と未来だとか、そういった小難しい理屈を何もかも踏み潰して圧倒的に鮮明に、熱でぼやけるばかりの現実を塗りたくっていた。目に見えるも見えないもなかった。だってメレフは最早カグツチの内側の視点からカグツチを感じていた。彼女が捧げてくれる愛情を一片の欠片も余さずに呑み込んで頭の芯が痺れていた。 見つめ合い、貪るようにキスをした。責め立てる中指はそのままに、親指の腹が震える実さねを捕えた。右胸の頂を捏ね回され、自重を支える術を手放してメレフに圧し掛かるカグツチの存在を強烈な性感と共にメレフは感じ取っていた。固く閉じた両の瞼の裏で幾つもの火花が青く散った。我慢の関を暴力的な性感で壊されて甲高く上がるはずだった嬌声をカグツチは全て食らい尽した。メレフの眦を汗か涙か分からない水滴がついと零れ落ちていった。細い肢体はがくがくと震えるばかりで、思考は真白く失われていた。肉体の最奥から大いなる予感が膨れてメレフをにわかに不安にさせた。締め付ける強さからそれを悟ったカグツチは責める手を一向にゆるめないまま、ただ唇を触れ合わせたまま微笑んだ。わけもなく安堵してメレフは言葉の一切を放棄する。ふわふわとした多幸感ばかりが意識を包んで窒息してしまいそうだった。 それから、すぐだったかもしれない。少々時間を要したかもしれない。狂ってしまった時間間隔で体感すらも分からなかったが、やがて、この世の何よりも鮮やかな青をしたひときわ大きな火花が頭蓋に弾けて、メレフの全てを塗り潰した。「――――――っ!」 カグツチが息を呑んだ小さな音だけをどこか遠くで聞いた。 次に気が付いた時、あれほど全身を震わせていた刺激は消え去り、包み込む体温だけを感じていた。 メレフの隣に横たわったカグツチが、柔らかく髪を撫でてくれていた。ぼんやりとした目で自分を見たメレフを認め、カグツチは途端に湛えていた微笑を泣きそうな後悔に作り変えてしまった。「申し訳ございませんでした」 開口一番は謝罪だった。「お疲れでしたのに、ご無理をさせてしまいました…」「……調子に乗っていたな。珍しい」 からかって笑ってみる。しゅんとしたカグツチは「その」と言い訳をする子供のように言い募った。「メレフ様に望んで頂けたことが、嬉しくて、つい……」 メレフは目を見開いた。すぐにおかしさが唇の端を吊り上げた。彼女の頬を包み、キスをしてすぐに離れた。カグツチは驚いた顔をしていたが、メレフが全く気にしていないことは伝わったらしい。ようやくカグツチの表情が和らぎ、メレフはそれに安堵した。「先人の知恵や文化は偉大だな。……私も、お前をちゃんと感じられて、嬉しかったよ」「メレフ様…」「……そういえば」 事の最中は燃え盛る熱に負けて隅に追いやられていた疑問を掘り返す。「どうしてする側にこだわったんだ?」「それは、その…」 尋ねられ、カグツチは答えるべき言葉に迷って黙ってしまった。急かすような真似はせず黙って待っていると、意を決したようにメレフを見据えたカグツチは、「呆れないで聞いてくださいね」と前置いてから、意外な答えを口にした。「女性を抱かせて頂いたのは絶対に初めてだと思うのです」 理解が追い付かず眉根を寄せたメレフに、カグツチは恥ずかしがりながら言を続ける。「メレフ様に頂いた沢山の体験や思い出は、日記を読む限り、過去の私も似たようなことをしているのです。別にそれが悲しいと言うわけではないのですよ。だってブレイドってそういうものでしょう」 カグツチに気取られないよう、メレフは一瞬だけ息を詰めた。 ブレイドとはそういうもの。 メレフが理解してしまった諦観と同じ言葉を、今カグツチは口にした。世界の事実で、摂理で、反転されようのない現実。 メレフがそれを知るより先にカグツチの内心にその事象が重く鎮座していたことを今更認識する。「でも、流石にこんなことは初めてに決まっていますわ。過去の私に起こり得るはずがありませんもの」 ああそうか、とメレフは思い至る。 もしかしたら、メレフが今望んだように、過去のドライバーも彼女を望んだことがあったかもしれない。きっとその時のカグツチは、今のカグツチができますよと頷いてくれたのと同じように自身を差し出しただろう。あまり面白くない想像なので、考えすぎという結論を下したいところだが。 けれど一つだけ確かなことがある。 カグツチという存在の一貫性を保証する歴史と日記の記述の限りにおいて、メレフは彼女にとって初めての女性ドライバーだった。「メレフ様に差し上げることの出来る初めてが、まだ私に残っていたことが、嬉しかったのです。とても」 頬を染めてくすくすとカグツチは笑う。噛み殺しきれない喜悦がメレフにも伝わる。「なんだ」 呟く。メレフは唐突に泣きたくなった。「なんだ、カグツチ、お前、そんなことを考えていたのか」「ええ。馬鹿みたいですわね」「愚かなのは私だ。そんな風に悩んでくれていたことを、私はちっとも知らなかった」 目に見えないものを信じきれない、それは本当にメレフの悪い癖だ。だってちゃんとあったのに。メレフが気付くより先に共有していた為り損ないの痛みが同じ場所に二人分刻まれていて、メレフに見えていないだけだったのに。それでもカグツチはメレフが信じるに足る形で示してくれたのだ。――心臓の位置にキスマークを、その為に付けてくれたのだ。 堪らなくなって線の細い肩を抱き寄せた。大人しくメレフに身を預けたカグツチが、けれど小さく息を止めた。何事かと彼女をよく見やって、メレフは途端に青ざめた。露わな背中、白く美しい肌に、爪を立てられた赤い線が数本くっきりと残っていた。「す、すまない! 引っ掻いてしまっていたのか……!」 記憶は全くないが背中に手を回してしがみついていた覚えだけはある。許されない過ちを犯した気分が全身を包んで眩暈を引き起こした、そんなメレフへ向けてカグツチはゆったりと首を振った。「大丈夫です、すぐに治りますわ。私はブレイドですから」 本体であるコアさえ無事なら肉体の傷は即座に完治する、それはブレイドの特性だ。カグツチの言う通り、明日の朝になればメレフが付けてしまった創傷は跡形もなくなっているだろう。安堵はするがそれでも申し訳なさが募る。彼女の完璧な美しさを一瞬でもメレフの責任で損なってしまったことが我慢ならなかった。一向に和らがないメレフの表情を見かねたのか、カグツチは人差し指の腹をメレフの唇に押し付けていたずらっぽく笑った。「治ると分かっているからでしょうか。つい、もっと……私がメレフ様のものであるという証を付けて頂きたかったと思ってしまうのは」 思いがけぬ言葉にメレフは瞬きを繰り返した。少し考えて、片肘を支えに身を起こし、豊満な胸元に唇を寄せた。彼女の中心に輝くコア・クリスタルの左下部、カグツチがメレフに鬱血を残してくれたのと同じ場所に吸い付く。二度、三度と強く。心臓の胎動はない。ブレイドはコア・クリスタルがその役割を果たし全身にエーテルを流す。人間メレフにとって生命のメタファーとなりうるその場所は、ブレイドカグツチにとってはなんでもない肌の一部でしかなく、だから、この行為に意味はない。 それでもカグツチは満足そうに笑ってくれた。お返しとばかりにメレフの胸元に顔を寄せ、既に遺した痕を上書くように音を立てて噛み付いた。「大丈夫です、メレフ様のこれもすぐに消えますよ」 愛おしそうに青いオペラ・グローブの指先がその場所に触れる。人間の鼓動を、彼女はどのように感じているのだろう。「そうか、残念だな。せっかく付けてもらったのに」「治らないとなったら付けられませんわ。こんなにも綺麗なお肌なのですから」 胸元から肩を通り二の腕を撫でられ、くすぐったさにふるりと身を震わせた。 ならば、とメレフは真っ直ぐにカグツチを見つめた。「消えかけたらまた付けてくれと言ったら、お前はどうする?」 意図を察したカグツチは今宵一番深く微笑む。「メレフ様に望んで頂けるのであれば、喜んで」 その後、向かい合って指を絡め、一枚のシーツを二人で被って目を閉じた。 起きた時には、何も変わらない朝が来る。メレフは人間で、カグツチはブレイドで、二者は絶対的に別のもので、メレフはカグツチというブレイドにとって代替可能なドライバーで、いつか必ず訪れる不可避の未来に忘れられる。 世界の姿が変わっても、それだけは決して変わらない。 けれど二人で迎える新しい一日は、きっとこれまでよりほんの少しだけ憂いを掃って、その分だけ喜びを増して、眩しく美しいはずだった。2018/04/08 [1回]PR