恋文 私の過ちをあなたに詫びる前提として、あなたのことを少々語らせてもらわねばならない。あなたにとってはご自身のことだからつまらない話になると思う。私の目に映るあなたとあなたが認識するあなたの乖離があなたの気分を害することだってあるだろう。だから本題に入るまでを読み飛ばして頂いて全く構わない。もっとも、この手紙があなたの目に入ることはないのだから、これは余計な注釈であるのだけれど。この文章は書き終えてペンを置き次第私の炎に包まれて暖炉の灰に紛れることが確定している。真にあなたに渡すための言葉なら、私はもっと相応しい文体を選び修飾と技巧を駆使し古典から詩の引用をして、あなたに相応しい手紙を作り上げてみせる。だが今から書き進める記述は日記に残すことを諦めた私の懺悔であり告白である。初めは私一人の思考を纏めるためだけにペンと紙を用意したのだがどうにも上手くいかず、あなたへ語り掛ける体裁を取り繕って言葉はやっと生成された。要するに私は私の思索の為に私の中に作り上げたあなたを利用していて、その点ご容赦頂けたなら幸いだ。 あなたと同調し、あなたのブレイドとなってからの日々をここで掘り返す真似はしない。それらは私の日記の中に余さず残っているし、あなたの記憶においても同じだろうと信じている。私が今から行うのは十年を超えて私の一番側で積み重なったあなたの乱暴な要約で、だからやはり、あなたに読まれる価値はない。 私があなたと出会った時、あなたはほんとうに子どもだった。あなたは周囲からまだ男児として扱われていて、身長も私の胸元に届いていなかった。胸を張って私を見上げ、堂々と名と身分を教えてくださったあなたの小さな指先が緊張で細かく震えていたのをよく覚えている。気付いてしまえば幼いながらも威厳を保った自己紹介が練習の賜物だということも察せられて、私はその瞬間からあなたのことが愛おしくて仕方がなくなった。こんな小さな子がドライバーなのかと思わなかったと言えば嘘になるけれど、落胆だけは決してしなかったことは強調しておく。後にあなたは過去の私のドライバーとご自身を比べられて、私で良かったのか、と戸惑いながら何度かお尋ねになったけれど、私にとってはあなたの上目遣いの可愛らしさの方がずっと大事なことだった。その感情が、どこまで本能でどこまで私自身の意思によるものなのか、その境界の判断は付かない。 立場がそうさせるのか、生まれ持っての性格か、あなたは聡明で目端の利く子どもだった。次期スペルビア皇帝として、皇位継承権第一位の皇子として、スペルビアの宝珠たる私のドライバーとして、あなたの振る舞いは歳不相応に完璧だった。常に背を伸ばし、声と口調は落ち着いて、物分かりは良く、国と民を思って飴色の双眸はいつも強く輝いていた。私はあなたのそんな姿を誇りに思いながら、しかし失礼を承知で当時から今に至る心情を吐露させてもらえば、あなたにはご自身の意志というものが酷く希薄でいらっしゃるように感じられた。いや、この表現は正確ではない。あなたはあなたに求められる目的を遂行する限りにおいて誰も傷つけることのできない鋼の精神を有していた。まだあなたには重たかった私のサーベルで一心に刺突の練習をしながら、お前のドライバーとして強くならねばならないと仰った。皇宮の第二翼区で共にアルバ・マーゲンの街を見下ろしながら、皇子として、やがては皇帝としてこの国を守らねばならないと力強く微笑んだ。私を相手にリードのステップを練習しながら、女の子なのに覚えるのはリードなんて、との感想が、おそらく顔に出てしまっていた私に、私は男でなければならないんだよと当然のように告げた。あなたはそういう風に、「~のために」あるいは「~なければならない」としきりに口にした。だけどあなたは気付いていただろうか。「私は~したい」の構文があなたの口から発されたことは殆どなかったのだ。 あなたは誰かの眼差しの中にしかあなたを見出せず、それが実際のあなたでなくとも求められるあなたになりきろうと懸命だった。 そんなあなたがはっきりと口にされたご自身の為だけの願いは数少なく、ゆえに私はその全てを覚えている。ネフェル様がお生まれになった後も、私と共にいたいと縋り付いてくださったこと。ネフェル様をお守りするため強くなりたいとはにかんだこと。髪を伸ばしてみたい、化粧をしてみたいと私のスカートを引いたこと。私はそれらがいちいち嬉しかった。歳の近い友人もご親族も、幼くして私と同調したために私がその役目を兼ねていて他に側近もおらず、あなたの他愛ない望みを一番に教えてもらえるのが私で、私はあなたからの特別扱いに幸福感と優越感で胸がいっぱいだった。何よりあなたがただのあなたとして言葉を紡ぐことが私の喜びだった。あなたがあなたでいるというそれだけの事実がどれほどの幸いだったか、あなたに告げても困ったように微笑むばかりなのだろう。 前提が長くなって申し訳ない。私が謝罪するべきは、そんなあなたの願いにひとつ、私は、私だけは断固として跳ね除けねばならないものが混ざっていて、けれどそれを為せなかった暗愚と身勝手についてだ。 よく覚えている。相談があるのだと真剣な顔であなたの部屋に呼び出されたティータイムだった。ティースタンドにはスパークキュウリのサンドイッチやスコーンや満天ジュエルタルトが置かれていて、ミルクインファーストでアーケディアンティーを淹れたティーカップが白く不規則に湯気を立ち上らせていた。あなたは18歳で、帝国の法律上は既に成人していて、けれど顔立ちには少女らしいあどけなさと大人の色が混ざり合い、その魅力は今にも花開かんとしていた時分だった。メイドも出て行った二人きりの部屋で、スコーンにクランベリン・ベルのジャムを付けて頂きながら、先日赴いたグーラで見たヴァーナスク大滝に掛かっていた虹のことや、トリゴの街でグーラ人とスペルビア人の子どもが共に遊んでいたことを話していた。相談とは何かと身構えていた私が拍子抜けするほど他愛ない話ばかりだったが、後から思い返せばあなたはどう切り出すべきか笑顔の下で懸命に考えていたのだと思う。ふと会話が途切れた。沈黙は少なくとも私にとって居心地の悪いものではなかった。あなたが言葉を探しているのを察しながら、私は黙してあなたの声を待っていた。タルトのクッキー生地をフォークで割ったさくりという音がした。クロザクロの深い藍色のジャムにサンサンイチヂクの黄色がきらきらと光るケーキ部分にフォークを差した、その瞬間名を呼ばれて私は顔を上げた。 あなたは真剣な顔で少しだけ戸惑って唇を引き結んで、「私はお前を好きになってしまったらしい。ブレイドとしてではなくて、一人の存在として」 一言一句違わず、そう告げた。 だから、どうしよう、と、真摯な眼差しが私を射抜いた。あなたの言葉は相談ではなくて告白そのものだった。驚いて言葉を失った私以上にあなたは困って眉を下げていた。泣きたそうに見えた。自分ひとりで処理しきれずに降り積もって飽和してしまった感情をどうして当の本人たる私に"相談"するのか、その顔を見た瞬間理解した。なんのことはない。こんなことを無防備に吐露できる相手が、あなたには私以外いなかったのだ。 アーケディアンティーの湯気の向こうから、怯えるように私を窺うあなたに、私は首を横に振るべきだったとはっきり言える。 いいえ、いいえメレフ様。それはなりません。お言葉は勿体ないですが、それはただの勘違いです。あなたはあなたに注がれる好意に不慣れで返し方を取り違えてしまっただけ。誰よりもあなたの傍にいた私に誤想の矛先が向いてしまっただけ。ちょうど人間の少女があなたくらいの年頃に抱く同性への憧憬に、恐れ多くもたまたま私が合致してしまっただけ。あなたは私のドライバーでご主君なのですから、あなたが私に与えるべきはブレイドへの信頼と臣下への寵愛、それだけで私には勿体ないほど充分で、あなたはそれ以上を私に抱いてはいけません。さあ、聞かなかったことにしますから、もうそんなことを仰っては駄目ですよ。大丈夫。その感情は一時的で、すぐに忘れてしまえるはず。あなたにはそんなことより、もっと考えるべきことがたくさんあるのですから。 それなのに私は立ち上がり、あなたの傍らに跪いて、その手を取っていた。瞠目したあなたの瞳に映る私は、喜悦を噛み殺しきれずにあなたを見つめていた。「私は、お前の傍にいたい。お前に傍にいて欲しい。触れたいし、触れて欲しい。ブレイドとしてではなくて、それ以上に」途切れ途切れに紡がれた、あなたのあまりに無防備な「私は~したい」の願いを、私が無下にできるはずがなかった。いや、それは詭弁だ。口実で、言い訳で、方便だ。私は嬉しくてたまらなかったのだ。私を貫いたあなたの真っ直ぐな好意が全身に幸いをなみなみとみなぎらせて、ぱちんと弾けてしまいそうだった。後にあなたは緊張で足元の感覚がなかったと暴露したが、私だって足元がふわふわして現実感が全くなかった。 これこそが私の過ち。 私はこの時、あなたやあなたの未来より自分の歓喜を優先してしまった。「はい、私も、お慕いしております、メレフ様」 その時ぱっとあなたが満面に綻ばせた喜色に、私が覚えたのは罪悪感だった。 あなたは私たちの関係に名を付けなかった。私たちはそれからも以前の通り、ドライバーとブレイドで、主君と従者で、ただほんの時折、その前提を忘れ去って、あなたのためだけの私になり私のためだけのあなたになった。表立っては何ひとつ変わるものはなく、あなたの欲求はペディキュアを付けて欲しがったりだとか単独任務の土産話を聞かせて欲しがったりだとか元老院の老人たちへの愚痴を零したりだとか、健全で透明であどけないものに終始していた。それらの希求は過去も私に向けられていて、とどのつまりあなたの側は、少なくともあなたの行動は、ほんとうに変化を見せなかった。あなたの目的は私に"相談"を行い私が頷いたその時点でとうに達成されていて、その上で何をどう望めばいいかをあなたは全く知らなかった。あなたに余計なことを教えたのは全て私の方からだ。私はあなたが信じているよりずっと愚かで、あなたを導くふりをしながら当然の顔をしてあなたに道を外させるべく何度も何度も手を引いた。更に付け加えて告白すれば、私はその全てにおいてあなたを言い訳にした。あなたが上目遣いで私を見やる、いつだって堂々と前だけを見据えるあなたは僅かに俯いている、あなたの声が確認のように私の名を呼ぶ、続かない言葉の代わりに私の手首やドレスの裾を控えめに引く。私はプライベートでの自己主張が拙いあなたの発されない声を聞き取ってそれを叶える――私自身を騙すことさえ敵わない偽証をもって私は意図的に間違える。まずは手の繋ぎ方、次いで指の絡め方。私の身に御身を預ける方法と、抱き締め方、抱き締められ方。私はひとつひとつあなたの肉体に私という毒を投与して、本来あなたが別の誰かと、狭く特定して言い換えれば人間の男性と育むべき感情を私の形に定義する。 ついに口付けを教えたのはスペルビアには珍しい晴れた夜で、星は高くて遠かった。二人きりの庭園でナイトリリームが月明りにほんのり光っていた。いつかあなたが私に名と伝承を語ってくれた星座が天頂に瞬く夜半よわで、既に特別執権官の地位を頂いていたあなたはしかし私の眼前では無防備に微笑む私の可愛いあなたでしかなかった。その時の会話は既に日記の一頁として書き記しているので敢えてここで繰り返し描写する必要もないだろう。先に断っておくが、日記に残したのはあなたのくれた言葉のみで、その後のあなたの行動と私の錯誤については後世に伝えないことを選んでいる。 距離を詰めたあなたは無言で私の腕に触れた。背丈は最早あなたの方がほんの僅かに上だったのにわざわざ俯くものだから相変わらずの上目遣いだった。あなたは黙していた。何をして欲しいかは瞳で雄弁に語れるようになったのに、私がそれを読み取り察して先回りするものだから、戦闘中の威勢はどこへ隠れてしまうのか、私が間違える時あなたはいつも受け身だった。弁明を許してもらえれば、私はこの時、まだかろうじて生き残っていた理性をして、もう眠りましょうとあなたを促したのだ。それでも緩やかに首を振ってただ私を見つめ続けたあなたに脆弱な分別はあっという間に窒息して、私は呆気なくあなたの頬に触れた。それは精神的な話であって、肉体的なことを言えば指先は情けなくも少々震えていた。あなたの頬は白く滑らかで柔らかかった。あなたは安堵したように息を吐いて目を閉じた。そして私は本来ならば私自身が何としても死守するべきあなたの唇の純粋を奪ったのだ。 思い返せばそれがせめてもの一線が失われた瞬間だった。その後あなたははっきりと私に執着と独占欲を見せ始めた。会話の最中私の気が逸れれば途端に不機嫌になって、「私と話すより大切な用があるのか」と嫌味を言うようになった。疲れたと言って着替えから何から身の回りのことを私に一任する夜もあれば、無断で私のベッドに潜り込んでいる朝もあった。救えないことに私はそんなあなたのいちいちに幸いで胸を締め付けられて、加速度的に過失を重ね続けた。舌の絡め方も、声の上げ方も、身の捩り方も委ね方も、まっさらなあなたに教えたのは将来あなたが得るべき伴侶ではなくてその日まであなたの純潔を保護すべき私自身だった。あなたの美しい体に女性としての致命傷を与えてなお、あなたが私に注いでくれた優しい涙目で確かに覚えたはずの後悔さえ、いつかのアーケディアンティーがくゆらせていた湯気のように、薄く揺らいで溶けてしまったのだから始末に負えない。 何より酷いのは、ここに至ってなお、私は私の感情を俯瞰して境界線を引けなかったことだ。 健全な前提に戻りたいと思う。私はあなたのブレイドで、あなたは私のドライバーだ。私はあなたを愛していて、私の世界はあなたである。私という個が生成された最初の一呼吸から私はあなたが大切で、私はブレイドとしてこの記憶が保たれる限りあなただけを愛し続ける。多かれ少なかれ、ブレイドはそういう本能を有している。人が、動物が、植物が、モンスターさえ、番を見つけて子を為し遺伝子を紡いでいくように、私たちブレイドはドライバーの命に寄り添い全うさせることに心血を注ぐ。 ブレイドはドライバーを愛するように生まれてくる。 言い換えれば、私はあなたの恋人になるために生まれてきた。 当然これは比喩である。その絆は形式を指定しない。あなたが命じれば私はあなたの親にも姉にも妹にも子にも友にも従者にも道具にも何にでもなるしなれる。結局のところどこまでいってもこれは保身と言い訳でしかないが、あなたが私をパートナーと識別したのなら、私がそれに従うのはブレイドとして当然の道理であった。勿論あなたではなく周囲が私に求めていた役割はそれではなかったことは承知しているし、あなたの未来を真に思うのならやはり私はあなたの定義付けを拒否するべきだったことに異論はない。 ほんとうに申し訳ないと思っている。 私はこんなに私自身のためにあなたを巻き込んだのに、あなたを思う心の枕詞に"ブレイドとして"の注釈あるいは疑念を外すことが出来ない。 正直に言おう。人間ならばと何度か思った。あなたに人間として出会い接し人間として愛を伝えられていればどんなに間違えていたって私はもう少し胸を張ることが出来たに違いない。けれど私が人間だったら今ほどあなたに寄り添うことは出来なくて、ただ遠巻きにあなたを眺め溜息を吐く帝都の女性の十把一絡げだっただろう。どちらがましかと問われれればブレイドとしてあなたに寄り添う現実の方がずっと恵まれている。やがてあなたの目が覚めて私の手を振りほどきあなたの歩むべき道に帰る時が来たとしても、なおブレイドとしてあなたの傍にいることが許されるのだから。 その瞬間の到来をあなたの幸福を祈る私の半分は確かに待ち望んでいるのに、もう半分は身勝手な幸いが失われてしまうことを、残り僅かな蝋燭で震える灯火のように恐れている。 笑えるほどに愚劣だ。 私はあなたを道連れにどうしようもないほど間違えて、いつか正されてしまうことに怯えている。 この文章は恋文と読み替えるのが妥当なのだろう。ただあなたのことだけを思い、あなたへ伝えないために書き進めた。所々独り善がりの理屈で論理が破綻していることは自覚しているので目を瞑って頂けたなら有難い。 私は今日に至るまで過誤を重ね続けたが、この手紙を書き終えた後も私自身の意志がそれを矯正することは不可能だろうと確信している。私はあなたに望まれる限りあなたの求める役割をこなしてそれを隠れ蓑に私の身勝手な恋にあなたを巻き込み続ける。最早私は一人ではあなたが本来征くべきだった道への戻り方さえ忘れ、あなたの手を引いて獣道を無暗矢鱈に作っていた。けれどひとつ誤解しないで頂きたいのは、あなたが一言「もういい」と言って首を振るのなら、私はあなたの背を押してあるべき光の方角を全霊で探し求めることにちっともやぶさかではない。ただ、あなたが正解の日々に辿り着いたその後、あなたのいない場所で一人顔を覆うくらいはご容赦頂きたいと思う。私たちブレイドの心は、たぶん人間のものとそんなに変わらず最愛の人からの拒絶に弱い。 そして恋人として不要になった私を憐れんで頂けるなら、あなたにとっての私を再定義頂ければこんなに嬉しいことはない。どんなものでも構わない。あなたの望む私を見事にこなしてみよう。だから私からのキスをあなたが求めなくなってからも、あなたの人生に私が隣り合うことをどうか許してほしい。あなたの傍で名を呼ぶことと、あなたに名を呼んでもらえること。その二つが間違いだらけの手元に残っていれば、私は十二分に生きていける。 メレフ様。 あなたのブレイドで居続けられるなら、私はそれだけで幸いだ。2018/04/16 [4回]PR