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Dear, my dear.

ゼノブレイド2非公式二次小説置き場。 ジクメレ・カグメレ等メレフ中心。 管理人:琉

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千年


 千年後に会いに行くから待っていろ。
 約束と言える程のものでもないそんな約束をしたのもいつのことだっただろう。ジークが既に自分の長命を自覚していて、カレンダーも大陸暦へ移行していたから、アルストが雲海と巨神獣ではなく海と大陸の世界へ変わった後なのは間違いがない。そうだ、慰霊祭の夜だったのだ。世界の変貌に耐えきれず、巨神獣の崩落や人工ブレイド、天の聖杯メツデバイスの襲撃によって失われた尊い命を悼む儀礼を、繰り返して何年目かの時だった。
 慰霊祭は旧リベラリタス島嶼郡、当時は既にリベラリタス自治区と呼ばれていた、で行われていた。失われた命を悼み、救われた世界で生きると誓うことに国家による分け隔てはなく、慰霊祭は英雄アデルの生誕祭に次ぐ世界行事として執り行われていた。リベラリタスで開催されたのは、世界を救った天の聖杯のドライバーの出身地であると同時に、どの国の勢力範囲でもない地図上の都合も大いに含まれる。
 夜に打ち上がる灯籠の、折り重なる橙の光を眺めていた。ジークはルクスリア王国代表ではなく、あの旅における天の聖杯の同行者として列席していた。少し成長した子どもたちが夜空に吸い込まれる光を指差しながら思い出話を重ねていて、その傍ではブレイドたちが旧交を温めていたのを、あの旅の距離感と同じように、やや離れた位置で眺めていた。隣にはこれもまたあの旅においての日常を再現するように、スペルビア帝国代表でなくジークと同様に天の聖杯の同行者としてここに立つメレフがいた。

「あの光が魂やとして、楽園ものうなって、まあはなから滅びとったけど、どこへ召されるんやろうな」

 雲海時代よりも高くなった夜空を見上げながら、ジークは呟いた。慰霊祭で灯籠を空に飛ばすのも、死者の安寧を願ってのことだ。眼の前に広がる幻想的な風景は、炎で死者を見送り、また迎える古王国イーラの風習を形を変えて受け継いだリベラリタス土着の鎮魂が、スペルビアやインヴィディアの協力により洗練された光景である。ならばそうして天高く放り投げられた光はどこへ行くのかと、ジークは毎年考えていた。多くを知らない人々は、楽園を超えた真の楽園へと無邪気に信じているが、世界樹の天頂の楽園が実際には不毛を極めた廃墟であったことを目の当たりにしたジークには、同じように信じることはできない。その楽園だって、神と、翠玉色の少女とともに消えてしまった。ホムラとヒカリは帰ってきてくれたけれど、彼女だけは帰らなかった。

「どこって、決まっている」メレフは言った。「風に乗って、空を廻って、海に溶けて、やがて、この世界に還ってくるんだ」

 常に理知的で現実的なメレフらしくもない、また科学技術を信奉するスペルビア人とも思えぬ物言いに、ジークは意外な思いで彼女を見下ろした。メレフはただ静かにジークを見返した。自分が、なにかおかしなことを言ったかなんて、欠片も疑わず自信に溢れていた。

「人は死んだら生まれ変わる。そうあればいいと、私は思っている」

 メレフは輪廻転生(リーインカーネイションを信じていた。最もそこに宗教家の敬虔はなく、どちらかといえば、かつての楽園伝説を夢見る子供の無邪気さで、こうあればいいと願っているようだった。生死と世界の存亡を共にした仲間の死生観を今更知る。

「それって、いつからそう思うとん?」
「子どもの時からだ。……法王庁が健在のときは、表立っては言えなかったが」
「ああ、スペルビアはアーケディアと懇意にしとったもんなあ」

 コアクリスタルの管理・供給権を独占していたアーケディアと、巨神獣資源が少なく科学技術とブレイド資源の両輪で成り立っていたスペルビア。その皇族であり軍の高官でもある彼女が、法王庁の教えとは別の宗教観を持っているなど、到底口に出来るものではないことは想像に難くない。スペルビア帝国自体は宗教の自由を謳っているにしても、だ。
 マルベーニと共に雲海へ、そして更に海の底へとアーケディアが沈んだ今、心の奥底に抱いていた彼女の小さな願いはやっと自由を得て言葉になる。

「珍しいな。あんな世界で、生まれ変わりなんか信じとった人間、初めて会うたわ」

 あんな世界。雲海に覆われた世界。巨神獣が死に行き、地面は消える一方で、やがて自分たちも沈むのだと、人間たちが諦めながらその時を少しでも先にしようと悪足掻きばかりだった世界。
 そんな世界にもう一度生まれてきたいと願う者が数少ないことくらい子供でもわかる。
 代わりに支持されていたのは、「ここではないどこか」信仰とでも言えばいいのか。死後は広い広い、落ちることも消えることもない強固な豊穣の大地が待つ、いつか神から追われた失楽園を更に超えた真の楽園で永遠の安息を手に入れるのだと信じられていた。一方でその価値のない悪人はモルスの地よりも深く暗い地の底の国へ落ち永遠の責め苦に藻掻くとも。アーケディアの経典にも概ね同じ死後の世界が描かれていた。生きている限り人はやり直せるというマルベーニの教えも、結局の所地獄へ落ちないためにやり直すという前提がある。その結果今生が幸福なものになったとして、それは副産物でしかない。ほんとうの幸福は、恐怖も痛みもなにもない天の国でこそ与えられるものなのだから。
 アーケディアが沈み、法王庁が消え去り、大地が沈む恐怖から解放されても、培われたミームはそう簡単には変わらない。今天へと昇る光の郡だって、結局あの頃と同じ、死後の天の国へと祈りと魂を届けようという発想によるものだ。

「だろうな。私も、他に信じている人間に出会ったことがない」
「でも、ええな。そっちのがワイは好きやわ」

 所詮いつかこの世界から永劫に離脱し、この世界と無関係の場所で幸福を手に入れるのだと信じて今ここにある現在をないがしろにする者も、アルストには多かった。希望のない世界で努力することに、価値を感じぬ者が大勢いた。その行い自体は唾棄しながらも、まあ仕方がないと、ジークは彼らに多少歩み寄れる。理解するのも納得するのも支持するのも拒否するとして、ただ、あの世界はほんとうに終わりが近かったのだ。ジークはその中で足掻き救うことを選び夢見、彼らは迫りくる終末の恐怖を和らげるために死後の国を夢見た。
 メレフの思想は巡り巡って今を見詰めている。世界が今生限りのものでないと信じるからこそ、世界をより良くしよう、生を紡ぎ繋ごうという意志も輝くものだろう。お伽噺のような異世界に救いを求めるより、今ここにある世界を生きようとする姿勢をこそ、ジークは美しいと感じる。

「なんで生まれ変わりを信じとるんや?」

 それはそれとして、なぜメレフがその思想に至ったのか興味が湧いた。尋ねれば、当然だろうと言いたげな顔で返される。

「決まっている。生まれ変われば、またカグツチに会える」

 なるほど。会いたい相手が絶対にこの世界に保れ続いてることを確信出来るなら、死後もう一度会うために生まれ変わりたいという願いも湧き出て何ら不自然でない。

「お前は?」

 メレフは首を傾ける。空を染める橙色の明かりで、彼女の顔も表情もはっきりと分かる。ほんの少し、でも確実に、旅を共にした彼女より、歳を取った。老いを感じるわけではない。そんな感想を抱いたら、案外美容に気を使っているメレフのサーベルの錆にされて文句は言えない程度の分別はジークにもある。しかしこれはそういう問題でなく、ほんとうに、顔立ちも、肌の張りも、髪の艶も、何も変わらないけれど、ただジークを見つめる琥珀色の双眸が、見つめる視線の深みが増した。
 一方のジークは、まるでブレイドのように、何も変わらない。

「生きている限りやり直せる、っちゅー法王庁の教えはそれなりに気に入っとったで。でも、死後の世界は考えたこともないわ」
「どこに召されるんだろう、なんて疑問を呟いておいて?」
「考えたことがないからこその疑問や。なんか信じるもんがあったら、どこになんて思うかいな」
「なるほど。それも道理だ」

 メレフは頷く。

「ガキの頃はぼんやり、天国やら地獄やら考えたり怖がったりもしたけどな。…………しばらくは、そんなもん必要のない体になってしもうたし」

 無言のまま視線がジークの右胸に移る。ジークは気負うでもなく痛むでもなく、軽く自分の胸を叩いた。
 サイカのコアを分け与えられて永らえた命が得た副産物。この寿命が尽きるのがいつになるのか、ジークには見当もつかない。だが、ニアの話では、イーラ構成員の一人、サタヒコがジークと同じようにブレイドのコアを身に埋め込まれたブレイドイーターであったという。サタヒコがニアに語ったという、聖杯大戦の頃から生きているという話に誇張が嘘がなければ、ジークの時間も、人の理を外れてしまったと見て間違いないだろう。なればこそ、ジークには当分、死後の世界は必要ない。死の恐怖から逃れるため人類が生み出した死後の世界というミームを、ジークは向こう数百年は軽く必要としない。必要なのはむしろ生き飽きないかという不安への回答だが、サイカが隣りにいてくれるならこちらも充分だ。
 メレフを見下ろす。あの頃のように軍服を着て、帽子だけを脱いでいる。黒髪が空を埋め尽くす橙を反射して艶めいている。彼女の寿命が尽きるまでこの儀式が続いたとしたら、その頃には灯籠の意味合いも少し変わって、犠牲者の慰霊という意味ではなく、ただただ単純に死者を弔うものとして、目に見える星々よりも多いかも知れない灯籠の群れの中に、メレフと見做すことにした光を誰かが飛ばすのだろう。もしかしたらそれは、ジーク自身になるのかもしれない。
 ジークに運命を悟らせたのはメレフだった。
 彼女が何かをしたというわけではない。ただ、年下のはずの彼女の外見が、いつの間にかジークよりも年嵩になった。変わらない友情を育めると信じたのに、メレフは健全に人として進んでいく一方でジークは最早変わらない。少なくとも、彼女の生があるうちは。
 それだけのことだ。

「ま、どうせワイは生きとるやろうから、生まれ変わったら会いに来てや」

 呵々として笑う。遠い未来に生まれ変わった彼女は、ブレイドのように記憶を失っているだろうか、それとも持ち前の意志の強さで記憶の保持を叶えてみせるだろうか。なんとなく後者な気がして、根拠はないが、素直にそう思えてしまえたことがなんだかおかしい。
 メレフはゆったりと瞬きをした。微笑み、頷いて、そうだなと言い掛けた口元が、しかし「いや」と待ったをかけた。
 そしてメレフは体ごとジークへ向き直った。今までずっと、灯籠の飛び立つ広場を向きながら、隣り合って会話をしていたというのに。メレフの纏う空気は特に真剣というわけではなかった。リベラリタスの風のような、穏やかな優しさを保っていた。ああ変わったなと、ふいに思った。彼女と初めて言葉を交わしたのも、そういえばリベラリタスだった。会ったばかりのあの頃は、スペルビアの過酷な風が香る人で、気配は常に抜き身の刃のようで、空気も言葉も硬かったのに。あの旅は世界を変えるだけでなく仲間たちを良い方向に変えた。レックスは真っ直ぐさの代償の視野の狭さを克服し、ニアは人間不信をやめた。狭い家でハナの開発にのみ頓着していたというトラは世界の広さを知って、しがらみと理屈で雁字搦めだったメレフは驚くほどの柔らかさを手に入れた。
 自分は何が変わっただろう。眼の前の彼女なら、何か教えてくれるだろうか。
 メレフは、なぜかやたらと挑発的に口元を吊り上げて、

「そんなに安く会えると思わるのも癪だな」

 と言った。腕を組んで、らしくもない高慢な笑みを浮かべる。『スペルビア人』という題目を付けて、美術館に置いておけば、良い皮肉として結構な評価を得そうな姿だった。後にして思えば、笑えるくらい下手な芝居だったが、その時のジークは「なんやねん、それ」とまんまと乗せられた。
 そして、メレフは胸を張る。

「私に会いたいなら、千年待っていろ」

 課された条件は突拍子もなくて、ジークが覚悟している長命から考えても大分長くて、そんな馬鹿馬鹿しいことをメレフが本気で告げるものだから、その言い草は何かと文句を言おうとしていた力が抜ける。抜けた時には妙な説得力で納得させれていた。千年。ああ千年か。確かに、炎の輝公子の生まれ変わりに会おうと言うなら、それくらいの時間が経っていなければありがたみも薄い気がする。彼女にはあの旅の結果、スペルビアの英雄という肩書まで増えてしまったことでもあるし。千年も経てば、流石のジークも多少は寂しくなっているだろうから、ちょうどいいと言えなくもない。そして感動の再会のその時に感動なんてちっともなくて、何度も何度も繰り返したような雑談の間合いで、何一つ大層な話はきっとしないのだ。

「千年も経ったらワイもええ加減爺さんかも知れへんで。分かるんか?」
「分かるさ。探すくらいはしてやろう」
「もうルクスリアにもおらんかも」
「お前のような男が分からないはずがあるか。すれ違えば一目で分かるに決まっている」
「スペルビア特別執権官にそこまで言って頂けるなんて光栄やな」
「こちらこそ。千年後のお目通りを了承頂けたこと感謝しよう、ジーフリト王太子」

 三秒を目を合わせて、同時に吹き出した。ジークは腹を抱えて笑った。メレフは口元を右手で覆って肩を震わせていた。妙に楽しくて仕方がなかった。抱えた腹の底から、国を飛び出した十何年前の、幼い万能感が息を吹き返して込み上がって来た。何でも出来ると信じたあの日。世界の不条理も現実の冷徹も知らず、決意と希望でいっぱいだったあの頃の。
 それに突き動かされるままジークは言った。 

「よし分かった。千年待ったる。待ったるから、絶対に会いに来ぃや」
「ああ。千年後もお前が待っているなら、な」

 ひとしきり笑い合い、どちらからともなく指切りをした。彼女と指切りなどしたのは、それが最初で最後だった。子供のように、ゆびきりげんまん、なんて歌ったりした。誰も見ていなかったのに、メレフは少し恥ずかしそうにした。歌いながら、叶うはずがないなんてことは知っていた。そうであればいいと願うそれが明け方の夢より不確かで儚くて約束されようがないことなんて当然分かっていた。
 それでも、終末こそが終わった世界で、全てを見遥かしていた神のいなくなった星で、地平が無限に開かれたどこかの未来では、それくらいの奇跡が起きたっていいと、思った。

「一応言っておくが、お前はカグツチの次だからな」
「おう、知っとる」

 そんな、昔話。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
 


「へえ、そんなことがあったん。全然知らんかったわ」
「せやろな。誰にも言うてへんかったし。言うようなことでもないやろ?」
「それで今何年経ってん?」
「ワイが生まれて千年超えたんは間違いないと思うんやけど、あの話から何年かは忘れてもうたわ。データベースから千年分のカレンダー引っ張り出すんも情緒がないやん。まあ950年以上千年未満ってとこちゃうか?」
「もうすぐやん」
「せやねん。まー長かったわ」

「それにしても千年って、メレフもなかなか凄いこと言うなあ。長すぎるやろ。なんで千年やったんかな?」
「これはワイの想像やけど。あいつなりの優しさやったんちゃうか。『いつか』なんて言われたら、ワイもそれなりに律儀やから、うっかりいつまでも待ったかも分からんけど。あいつが千年言うたら逆に言うたら千年は会いに来んに決まっとるんやから、気負わずにおれたわ」
「もしかしたら、忘れてええよって言いたかったんかも分からんね」
「かもな。あいつ、ワイの諦めの悪さを甘う見すぎやねん。そろそろホンマに千年経つし、堪忍して出てきてもええと思うわ。んでたぶん、本当に待っているとは思わなかったとか言うやろうから、ワイを舐めんないうて悔しがらせたる」
「負けず嫌いやったもんねえ。でも案外、笑ってくれるんとちゃうかな」

「メレフが生まれ変わったら、隣にカグツチもおるかな?」
「そりゃあおるやろ。カグツチやで」
「でも、カグツチのコア、ちょっと前にもう光らんくなってもうたってニュースになっとったやん」
「そんなんメレフが生まれてきたら意地でも光り出すに決まっとるやろ。カグツチやで? 傍におるに決まっとるやん。なんなら賭けるか? ワイはおる方に二千ゴールド」
「えー、ずるいわ。そんなんウチもおる方に賭けるに決まっとるし」
「両方おる方かいな。賭けにならんやんけ」

「会えたら何するつもりなん?」
「それがなあ、会いたいとは思うねんけど、やりたいこととか言いたいこととか特にないねん」
「何やのそれ。普通、言いたいことありすぎて言葉が出んとか、なんか他愛のないことやりたいとか、あるやん」
「それこないだ再放送しとった映画やろ」
「せやけど。千年後しの再会とかロマンチックなこと言うといてつまらなすぎや」
「ロマンチックとかそんなんワイとあいつに一番似合わへんわ。ええねん。どっかでばったり会うて、なんか適当に喋って、そんで何かが起こるなら勝手に起こりゃあええし、起こらんなら起こらんで構わん」
「じゃあなんで千年に会おうなんて話にこだわっとん?」
「そんなん、約束したんやから、果たされなあかんやろ」
「そんなもん? ウチには分からへんわ」
「サイカには分からんでええねん。これは男と男の約束や」
「また男扱いして。会うた時怒られても知らんよ?」
「お前かてしとったやん」
「めっちゃ怒られてちゃんと反省したもん、ウチ。化粧水教えてもろうたし」

「でもええなあ、生まれ変わりかあ。ウチはブレイドやからなあ。コアにも戻らんやろうし」
「何言うてんねん、ワイは死んだらもっぺん何が何でも生まれて来たるしそん時はお前も一緒や」
「ほんまに?」
「ワイの傍以外どこに生まれてくるつもりやねん」
「いや、やって。ウチはブレイドやし。人間ちゃうし」
「そんなもん根性で人間に生まれて来んかい」
「……せやね。もうブレイドも全然おらんくなってもうたし、よう考えたらコアに戻らんならウチもほんまに死ぬんやからそのまま消えなあかん道理もないな。ええな人間、楽しそうやわ。そしたら今度は一緒に歳取れるな。次は幼馴染とかどない?」
「アホ、幼馴染なんぞ似たようなもんを今生でやり尽くしたやろ。別パターンにせんと飽きてまうで」
「でも他人やったらいつ会えるか分からへんやん。ウチせっかくなら最初っから傍におりたい。やったらもう家族かなあ。ウチがお姉ちゃんな」
「なんでや、家族やとして、お前は妹の方や、妹」
「あんたが小さい時面倒見たったのウチやん」
「それこそ千年前の話やんけ」
「やから新鮮な気持ちで姉弟できるやん?」
「お前を姉貴とか姉ちゃんとか呼ぶの嫌や。兄貴って呼ばせたる」

「なあサイカ」
「何?」
「会えたらええな。お前にも、あいつにも」
「……会えるよ。絶対」
「でもあいつにはもうちぃと頑張れんかったんかって怒られるかもなあ」
「せやね。せっかく来たのにってね。そしたらそん時はウチからも、ちゃんと頑張っとったよって言うたるわ」
「そりゃ助かる。頼むで」

「………… 王子」
「お前から王子なんて呼ばれるのも久々やなあ」
「楽しかった?」
「おう。えらい楽しかったで。満足や」
「そっか。なら、良かった」

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 一体どれだけ科学技術が発達すれば人間は混雑という概念を失えるのだろう。技術の発達を待つよりは次のハブ駅へ到着するほうが余程早いのは間違いない。メトロの車内は清潔で空調の制御が完璧なことは幸いだ。一昔前の古い空調システムは社内の人間の快・不快をモニタリングする知能さえなかったというのだから、技術は間違いなく人間にとって快適な方向へ進化している。かつてはメトロの混雑と言えば隣の他人と肩が触れ合い足を踏み合う状態を指したというのだから酷い話だ。そういう意味では人々に埋め込まれた青い生体チップ、かつてこの世界にいた生命体が有していたものになぞらえて、一般的にクリスタルと呼ばれる情報伝達デバイスが絶えずサーバーとリアルタイムに通信し、各ブロック毎の現在時点の人口密度を判断、その度に弾き出した快適なルートをクリスタル内部のナノコンピュータが示してくれるおかげで、人権を無視した混雑から人類は解放されている。今言う混雑とは、席に座れなくて、他人をパーソナルスペース内部に感じるという程度にすぎない。

「次座れるかな?」
「そこの人らが降りそうやしいけるんちゃう?」

 従妹とひそひそ話していた通りに、目をつけていたビジネスマン二人組はハブ駅で降車した。これ幸いと空いたボックス席に失礼する。先客の女性二人と相席だ。ボックス席とか相席という概念もいい加減なくならんもんかなあとぼんやり考える。
 目的地まではしばらく時間がある。眠気もないので、拡張視オーグメントを立ち上げウェブにアクセスする。クリスタルを介し網膜に直接拡張現実を描く現代の基幹インフラだ。デイリーニュースの中から、これから向かう街に関するものを適当にピックアップする。先日の巨大ハリケーンの直撃に見舞われた被災地へ、大学が夏休みに入った従妹と共に、ボランティアへ行く途中であった。被災地の現在の気象状況、被害状況、周辺地域からの復興支援について、寄付をした企業とその金額。一通り確認して経済へ。株の動きと市況の推移。それもあらかた確認し終え、オーグメントをオフにすると、向かいの席の従妹が隣の女性と意気投合していた。暇に任せて耳を欹てたが、彼女たちのオーグメントにメトロの車窓を利用した広告が移っているのだろう、最新の化粧品の話題だ。到底興味が持てるものでもなく、自分には何が映るかと再びオーグメントを立ち上げながら車窓を見た。超薄型モニターを内蔵したガラスの窓が映す広告も、不特定多数に対するものではなく、クリスタルの持ち主の検索履歴に指向する。
 そして広告よりも興味深いものが目に入った。自分の隣で足を組んで座っている女性が、中空に仮想ディスプレイを立ち上げて何やら書いていた。書いていると分かったのは、右手の指が動いていたからだ。中指に嵌めた指輪のセンサーを介した入力機構など、予算の関係でシステム移行の動きが遅いタイプの企業でしかもう生きていないとばかり思っていたが。体内に埋め込んだクリスタルを触媒に脳から直接認知系に働きかけるオーグメントの普及した現代では、個人が使用できるスペックのホログラムや仮想ディスプレイは既に化石と言って差し支えない。基本的には自身の網膜にのみ描かれ、必要ならば都度アクセス権を相手に付与して情報共有を行えるオーグメントに対し、同じ画面を覗き込む必要があり、また意図せぬ相手に覗き込まれる危険がある仮想ディスプレイなど絶滅したと思っていた。

「覗き見とは趣味が悪い」

 好奇心から自分自身を棚上げして覗いてみようとしていると、今どき仮想ディスプレイなぞを使っている女性は微笑んでこちらの興味を制した。最も悪いのはこちらなので素直に謝る。女性は特に怒っている様子でもなく、無言で肩を竦めた。
 紺を基調にしたユニセックスのパンツスタイルと切れ長の目元のせいか、中性的な印象を受ける女性だった。髪を短くして遠目で眺めれば、疑わず男性と見なす自信がある。しかし高い位置で結い上げた黒髪は手入れが行き届いていているのが男の目からも分かった。短い一言だったが発音は完璧で、父親が聞けば見習えと彼を小突いただろう。

「申し訳ない。何書いとるんか気になってもうて、つい」

 女性は無言で仮想ディスプレイを移動させる。眼前にやってきたそれに映っていたのは書きかけの小説だった。ほー、と眺めている内に画面に単語が追加されていく。女性の右手を確認すると、想像通りタイピングの動きをしていた。

「小説家か?」
「いえ、ただの趣味で」
「オーグメント使わへんの?」
「幼い頃からの趣味でね。こと物語に関しては、こちらのほうが使い慣れている」

 聞けば昔から空想癖があるのだという。オーグメントは12歳以下のインストールと同期は禁止されており、それ以前から使える記述用デバイスとなると確かに仮想ディスプレイと超小型センサによる仮想キーボードの組み合わせが妥当だ。
 年の離れた弟に聞かせて喜んでもらってお終いの癖でしかなかったのを、幼馴染の勧めで小説という形にしてみたら案外面白かったのだという。その幼馴染が従妹と喋っていた女性で、こちらはゆるくウェーブの掛かった長いブラウンヘアとロングスカートの、いかにもな美女だ。従妹もショートヘアの癖毛に悩むくらいなら、いっそ彼女くらい伸ばせばいいのに、と見比べて思う。

「どんな話書いてるん?」
「ブレイドの物語が多いわ。後は、千年前の、天の聖杯による世界解放の冒険譚」

 身を乗り出した従妹に、解説したのは幼馴染の方だった。女性は無言で微笑むばかりだ。

「へぇ、ブレイド」

 既に絶滅した亜種生命体の名を、こんなところで聞くとは思わなかった。
 まだ獰猛な動物が品種改良されず野生に在りモンスターと呼ばれていた頃、世界には人間と亜人とモンスターの他に、ブレイドという種族がいたという。今は人に埋め込まれているクリスタルも、当時はブレイドの証だったそうだ。生殖による自己の遺伝子の複製を成さないその種族はゆえに生物では有り得ず、子供型のブレイドはいてもブレイドの子供はいなかったらしい。ではその種族はどのようにして誕生したかと言えば、今は博物館の片隅に展示されていたり、研究室の片隅に転がっていたりするばかりのコア・クリスタルという宝石と生物が『同調』すれば顕現するのだというが、それを叶えた人間はここ百年単位で現れていない。人間から同調適性が失われたのと同時に、その種族は絶滅した。他の種族に存在可否を委ねた種族の末路だが、ではそのような非生物種がそもそもなぜ存在していたのかについて、学者の間でも意見は分かれていると聞く。ブレイドの研究はろくに進んでいない。研究対象が既にいないのと、生物ではなかったので、生物学者が扱いたがらないのが理由である。最近は社会学や歴史学の範疇に入れられているらしい。
 最後のブレイドが、最後のドライバーと共に、ちょうど25年ほど前に世を去ったのだという噂があるが、公式な記録はない。とにかく、本質的なことが何も伝わっていないブレイドという種族だが、彼らが絶滅したことだけは間違いなかった。
 せっかくなので女性の空想を聞かせてもらう。虫嫌いのブレイドが採掘の際に大型の昆虫に幾度となく襲われたのを乗り越えて新種の鉱石を発見するまでの冒険譚。無邪気無自覚に不幸を振りまいた、幸福を追い求める可愛らしい呪われの魔女。ターキン族の姫と間違われた鳥型ブレイドが、持ち前の忘れっぽさで最終的にターキン族に紛れてしまった落ちのない話。スイーツ好きの男性型ブレイドがパティスリーを成功させるための試行錯誤。かつて悪人と同調し悪事を働いていた不殺のダークヒーロー。互いの記憶の喪失を乗り越えて、しかし固い絆を結んだ姉妹。自称王様の故国探しに、知識欲に溢れた本の虫の古代文明への挑戦。
 特にお気に入りで、彼女の中でシリーズ化させた空想は、軍事帝国に仕え、代々の皇帝に受け継がれた、蒼炎のブレイドの話らしい。彼女の物語は、天の聖杯とそのドライバーが成した世界再編へもリンクしていくのだとか。そう言えば、かつての影響力を失いながら未だに地図に名を残す、これからボランティアへ行こうとしているその国の皇室には、輝きを失ったコア・クリスタルが国宝としてなお大切に保管されていると聞いたことがある。実際の歴史にも設定を繋げるとはなかなか凝った空想と言える。
 多種多様な物語を聞くうちに距離感は砕け、気付けば敬語もなくなっていた。

「凄いな! めっちゃおもろいわ。そんだけ考えつくなら普通に小説家になれるんちゃうか」
「誰かに編集されてしまいたくないんだ。あまり大勢に聞いて欲しいとも思わないしな」

 弟と幼馴染が楽しんで聞いてくれるならそれで充分だと彼女は言う。
 勿体無いなあと思う。本になったなら、自分は絶対に買うのに。なお、本というのも、紙ベースの本は既にデッドメディア化したご時世、オーグメントでダウンロード可能な文字情報の塊という概念を表す言葉である。
 ならばせめて今のうちにもう少し聞いておきたくて、持ち前の図太さを存分に活かすことにした。

「今書いとるんもブレイドの話なんか?」
「いや、これは少し趣向を変えてね。とある男女の話なんだ。……よければ読んでみるか」
「ええんか」

 ウチも気になる、と従妹が身を乗り出したので、女性と従妹に席を変わってもらい、二人で仮想ディスプレイを覗き込んだ。
 それはとある約束の話だった。恋人でも何でもなかった男女。意気投合し、信頼し合い、けれど生きる国を違え、互いではない誰かを既に人生の道連れに決めていた。
 男は過去に命を落とす大怪我を負い、ブレイドのコア・クリスタルの一部を身に取り込むことで永らえた。その副産物として、彼は不老不死に極めて近い体になる。やがて死は訪れる。肉体も老化するだろう。ただそれは、遠い遠い未来のこと。人間として歳を重ねる女は、不可逆の時間を人として歩み一秒ごとに男から遠ざかる。
 男は悲しまなかった。女も惜しまなかった。ただ遠くなるだけ。ともに生きられないどころか、同じ時代に死ねないだけ。それだけ。そうやって受け入れて、けれど一つだけ約束をした。
 千年。
 千年後に、会いに行く。
 そして月日は流れ、約束の時は経ち、晴れて生まれ変わった女は知る。
 千年を数える前に、男の寿命は尽きていた。

「なんか、悲しいな」

 肩を落として従妹が言った。

「もうちょっと救いがあってええんちゃう? 後味悪いわ。せっかく会いに来たんやろ? 男の方も待っとったんやろ?」
「そうだな。たぶん、待っていたと思う。うん、だから、結末を書き加えようかと考えているんだ」

 落胆を覚えながら新たな人生を新たに楽しむ女の前に、ある日突然、男は現れる。それは彼そのものではなく、共有すべき思い出も何もなかったが、彼も生まれ変わって来たのだと、そして約束は果たされたのだと、女は直感した。
 蛇足だがな、と彼女は笑ったが、そちらのほうが余程ハッピーエンドなので、膝を打って蛇足を支持した。

「ええやん、そっちのが絶対ええ。再会はどこでや?」
「そうだな。全くの偶然だから……もう、メトロの車内でいいかな。今思いついたことだし。現実を流用しよう」

 夢もなにもないが、まったくの偶然ということが強調されてそれはそれで良い。

「そんでそこからロマンスが始まるわけやな」
「いや、始まらない。物語は再会を以て終わる。前世に深い縁があったからと言って、今生もそれに縛られるべきだとは、私は思わない。まして恋人でも何でもなかったのだから」
「つまらんなあ。ウケへんでそんな話」
「いいんだ。誰かに読んでもらう予定もないのだからな」

 仮想ディスプレイを取り上げられる。シャットダウンと共に眼前から消え去った光の板を、勿体無いなと見送った。真正面に座る女性の顔が顕わになる。改めて、そして正面からは初めて見てみれば、幼馴染とは方向性の違う美人だった。演劇の男役でも努めれば、女性客の歓声を一身に集めること間違いない。ときめきを覚えるには、少々女性の好みから外れていたのが残念だ。失礼ながら外見だけを評させてもらえれば、隣の幼馴染のほうがタイプである。特に胸が大きい所が良い、と通報されないように視線は逸しながら思う。警察やメトロのコールセンターへの通報もオーグメント越しに出来るので、女性を怒らせたら逃げ場がないのは現代の息苦しいところだ。セクハラ同様の視線を送るほうが悪いという主張が正論であることは認める。
 だがなぜか、好みではないのに、眼前の、ユニセックススタイルの女性の方が魅力的に思えた。

「あら、このお話については、せっかくだからアップロードでもしてみようかと仰っていたじゃありませんか」
「え、公開するん?」

 幼馴染が口を挟む。彼女のアマチュア作家道への第一歩かと思ったが、残念ながら女性は首を振った。

「もういいんだ。もう必要ない。目的は達成されてしまったからな。……ところでプライベートでは敬語はやめてくれ、と言っているはずだが?」
「けじめは必要でしょう?」

 二人のやり取りを不思議に思って訪ねてみると、女性の本業は実業家だそうだ。オーグメントを介した医療ビジネスの発案者らしく、クリスタルから生体情報を読み取り肉体がデイリーに必要なケア情報を提示するサービスを開発したのだとか。若くして企業を立ち上げた彼女の秘書を信頼の置ける幼馴染が努めているらしく、なるほど年上らしい幼馴染の方が腰が低いのに納得がいく。
 話の流れでこちらのことを聞かれた。従妹は大学生。自分は大学卒業後、ボランティアをしながら諸国を回っていることを伝えた。社会に出る前に、この世界の生の現実を知っておきたかったのだが、既にビジネスの世界に身を置いている彼女には放蕩の身を見下されてしまうかもしれない。幸いなことに危惧は彼女に失礼な杞憂に終わり、その心掛けと、自由の身と、そして得る鮮烈な経験は羨ましいと笑ってくれた。今もハリケーンの被災地へ向かっているのだと伝えれば、故郷のために感謝すると女性は頭を下げた。彼女もその被災地の出身で、弟のことが心配で急遽帰ってきたのだという。
 そんなやりとりのうちに、彼女の達成された目的とは何であったのか、尋ねることは忘れていた。

「そういえば、あんさん、名前は? 自己紹介がまだやったな」
「これは失敬した」

 女性と幼馴染から名刺を受け取る。先程読んだニュースで被災地に寄付をした企業の名がそこに乗っている。思っていたよりも凄い人だったが、彼女の子供のような空想をいくつも聞かせてもらったからだろうか、今更緊張はしなかった。同年代として、既に親近感を覚えている有様だ。こちらは放蕩の身と大学生なので口頭で名と出身地を上げるに留まる。名乗った時、彼女は柔らかく目を細めた。なぜ微笑んだのか気にはなったが、それより伝えたいことがあった。

「さっきの話な。男と女のやつ」
「ん?」
「ワイも前世に縛られるんはつまらんと思うから言いたいことも分かるんやけどな。たとえば前世とか関係のうて、普通に、初めて出会った人として、もういっぺん一から仲良うなるくらいはありやと思うんやけど」

 やっぱり物語には、それくらいの希望はあって然るべきだ。
 女性は目を見開いて、じわじわと、嬉しさを滲み出すように微笑んだ。ほんの少しの間、何かを思い出すように目を閉じて、ゆっくりと瞼を開ける。真正面から視線が絡み合う。意志が強く光る目だった。ときめきはなかった。ただ、多少の奇跡くらい簡単に成せてしまいそうな輝きを、単純に、好きだな、と思った。

「誰かの口出しで編集されてしまうのは嫌だと言ったが……。そうだな。うん。それは、悪くないな。全然悪くない」

 彼女が笑う。
 根拠もなく、正解を出せたことを知った。


2018/07/28

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