失敗 ああ、失敗したな。 肩に覚える肌寒さで目を覚まし、自分が一糸纏わぬ姿であることと、隣で同じように真っ裸で健やかに寝こけている男を認めたとき、メレフは自分でも意外なほど冷静にそう頷いた。何に失敗したかって、平たく言って酒である。証拠に軽い二日酔いの偏頭痛と飛んでいる記憶。 さてどうするかと三秒考え、まずはこいつを起こそうとジークの鼻を摘む。普通に起こせとの文句が飛んできて然るべきなのだが、「なんやこれ」とどうやら同様に記憶を飛ばしたらしいジークが呆然と呟いたことにより受けるはずの文句は無期限に延期された。 事の発端のしょうもなさだけは覚えている。仲間たちの中でたった二人の成人した人間という希少価値から、メレフはジークによく酒に誘われる。最初こそ仲間との親睦を深めるのも必要だろうと半ば義務感で応じていたが、最近はメレフもその時間を楽しみにしている。交わす会話は酒の席に相応しい取り留めのないものばかり。スペルビア・ルクスリア両国の名産の話。ジークの放蕩時代のあれこれ。メレフの軍学校時代のエピソード。その日戦ったモンスターの生態。眼の前にある料理と酒の品評。世界情勢や政治の話は楽しいがヒートアップしすぎて喧嘩の様相を示すことも多々あると学んだので素面の時のみに留めようと協定を結んだ。その他分類不能なよしなしごと。発端のやり取りは最後の箱の中に入る。メレフが酒に弱いことをジークがからかった。一応、彼の名誉のために補足しておくが、無理に飲まそうとしたわけではない。ただ弱いものを弱いとおかしそうに事実を指摘し、ついでに自分の強さを主張したところでメレフの闘争心に火が付いた。この負けず嫌いは所構わず着火するきらいがあるとメレフは自覚しているが、自省するのはいつだって鎮火した後のことである。「ならば今日こそはお前を潰してやる」「やれるもんならやってみ」 その会話を最後に記憶は混濁するが、結果を見るに痛み分けと言ったところか。自業自得の両成敗とも評せる。「いやいやいやいや、色々嘘やろ⁉ メレフに潰されるとかありえへんやろ⁉」 とジークは頭を抱えるが、喚いたところで現実が変わるわけでもない。「別に記憶はあると言い張っても私にはその嘘は看破できないわけだが」「そっちのが罪重いやんけ」 と引き分けまでは持っていけた確証をメレフが得たところでジークが眼帯を結び直す。最中でも付けていたのかソレと今更ながらに思う。隻眼の垂れ目が絶望の様相を表すのを眺めて、メレフはひとまずまだマシな可能性を提案する。「服を脱いで寝ただけ、の可能性はないのか」「いやーどうやろ。全然覚えとらんけどなんやめっちゃ気持ちえかったことだけ覚えとるし」「貴様もう少しまともなことを覚えてないのか」「しゃーないやん男の生理やこれは」 ジークを睨むメレフだが、ベッドサイドの状態を確認しようとうつ伏せに身を起こしたところで下半身に気怠さと鈍痛を覚え、なるほどこれがと的外れに感動し、そうなるとジークを責める気も最初からなかったが完全に失せきって、取り敢えず避妊具の袋と使用済みの中身をゴミ箱に発見した時点で最低限良しとした。事実をジークに伝えると、彼は「なんでそんな冷静なんやお前」と半眼になる。「喚いても仕方がない」「さいですか」 幸いなことに備え付けの時計が占める時刻は午前三時五十分、ここがどこかは知らないが、元々取っていた宿とは違うことは内装で分かる、夜明けまでに戻れば最悪はしご酒を楽しんでいたと弁明できなくもない。夜遊びは夜遊びだが火遊びに至らないただの夜遊びということにした方が、たぶんジークの命の危機が少し減る。と、自分のブレイドを思い出してメレフは他人事のように思った。自分自身も心配を掛けたことを叱られるだろうことはこの際敢えて考えない。「なあ、メレフ」 ジークが覗き込むようにしてメレフを伺う。大男が肩を落として、後悔か身の危機か何を覚えているのか知らないが、帝国の軍用犬を思い出した。物々しい装備を外せば愛くるしい瞳を顕にして尻尾をぶんぶん振る存外人懐っこい彼らほどの可愛げをジークに感じはしないが、おかげでなんとなく大らかな心になれた気がする。なったところで、だからどうした、だ。 さてと寝起きの脳髄を全力で働かせる。人間の頭は多少フルスロットルで回したところでエンジンのようには壊れない。この一件の落とし所はどこだ。責任は双方にあるので彼だけを責めるのも許すのも論外。これを機にお付き合い。「なくはない」と「ありえない」が半々で主張する。メレフの意識としては「ありえない」に傾いている。何がありえないかは言語化できないが、端的に言えばジークに愛を囁かれる想像をしてみて想像力の限界が訪れると共に鳥肌が立った。セックスフレンド。倫理観が確率一の待てを叫ぶ。 結論。「なかったことにしよう」 と、メレフは言い放った。「はあ⁉」「だから、まあ、要するに、これは事故だ。半々の過失のな。どうせ覚えていないならこの際なかったことにしよう。ブレイドだって記憶を失えば別人扱いなわけだし」 補強するための後半の理屈が余計に支離滅裂になるが勢いで押し切る。「事故扱いされた挙げ句なかったことにされるワイとの一夜可哀想すぎひん?」 擬人化されて訴えかけられても幸か不幸か元よりそこに感傷が生まれる間柄ではない。「可哀想ではない」一刀両断して身を起こし、脱ぎ捨てられた下着を発掘して身に付ける。視線を感じて振り返り、鼻の下を伸ばしていた男の顔に枕をぶん投げて押し付けてやった。もがふがと苦しそうなのを無感動に見下ろして「いいと言うまでこちらを向くな」と厳命する。 その時、男の胸に輝く青い石にやっと気付いた。メレフにとって、傍らにあることが当然の色で、だから混乱の最中には、人間の体にそれが輝く致命的不自然に意識が向かなかったのだろう。「ジーク、お前……」 尋ねようとして、首を振る。全部なかったことにするのだから、この質問は不公平だ。「いや、なんでもない」「別に大したもんやあらへんけどな」 視線と声音からメレフが何を聞こうとしたのか察したジークは大人しく枕を顔の上に載せたまま鷹揚に言うが、メレフは「いやいい」と重ねて断った。前提として、彼は人間。コアはブレイドだけが持つもの。マンイーターに特有のコアの色の混濁は見られない。導き出される可能性は荒唐無稽ながらに少なくないが、想像を巡らせたところで、今のところ、メレフにとって、やはり意味はないのだ。なかったことにしてやはり正解だったのだろうと後付けの証明を得られたくらいで。 痛みはない。ジークと自分の間には何も始まらないことを出会った時から確信している。「まあ、なんだ。今回のことは災難だったな、互いに」 散らばる衣服の中から自分のものを発掘してシャワールームへ向かう。五分だけシャワーを浴び、アメニティグッズから発掘した化粧水で最低限のスキンケアをし、身支度を整えて出てくるとジークは既に服を纏ってベッドの縁に座っている。時計の針が刺すのは四時十五分。カーテンの向こうはまだ暗い。「言い訳はどういう筋立てにする」「言い訳に使えそうな店適当に見繕いながら帰るで」「そうしよう」 酔っぱらいながらにスリや引ったくりの類には遭わなかったようで(うっかり被害に遭っていようものならこちらの矜持が音を立てて砕けるか、あるいは無意識が体だけを動かして犯人をぎたぎたにしていただろうから架空の犯人含めて全方位に幸いなことである。なお、後者が起こらなかった保証はない)、手荷物の充分を確認してドアへと歩き出したメレフに、ジークは唐突に声をかけた。「メレフ、さっきの話な。取り敢えずワイの側としては、災難でも不幸でもあらへんで」 肩越しに振り返る。わざわざひっくり返して否定し宣言せねばならぬほどの何が先のメレフの台詞の中に含まれてしまっていたのか、メレフには分からない。ジークは思っていたより真剣な顔をしていたが、それをふっと消し去って高らかに笑った。「ええ思いさせてもろたしな、たぶん。覚えてへんけど」 いい笑顔だった。無性に腹が立って、「帰ろか」と彼が自分を追い抜く時に意趣返しとして背中を存分にぶっ叩かせてもらった。非常に小気味良い音が木造の部屋の中に響いて「いっだぁ!」とジークが叫ぶ。溜飲は下りたが、そんな結論はカグツチの説教とサイカの嫌味をどちらがどれだけ食らうか考えてから言うのだなと思わずにはいられなかった。2018/07/15 [3回]PR