初夜 この男のことを、理解できていると思っていた。 いや、英雄願望を拗らせて『設定』を語り本人にとっての『格好良さ』を追求する言動及びそのためのネーミングセンスについては完全に理解の範疇外であったが、しかしその内面が秘める世界への高い視点だとか、理想論に近い正義を貫こうとする純粋さだとか、その信念を甘えた戯言では終わらせず現実に為す強さだとか。そういった、ジークという男の本質の部分をメレフは過たず把握できている自信があった。顔を見れば発する言葉もおおむね予想できたし、戦闘中では視線を交わすだけで切り掛かるタイミングまで完全に合わせられた。相性がいい、とは、こういうことを言うのだろうと、自覚した時には既に、メレフは呆気なくジークに惹かれていた。 けれど今、この肌を擽る武骨な指を、その感触を、メレフは全く知らなかった。服を剥かれてしまった肩を、所在に迷ってシーツを掴んだ手と腕を、早くなる呼吸に上下する胸を、鍛えた腹を、ジークは丁寧に撫でている。がさついた左手が頬を包んだかと思うと、唇を甘噛みされた。快感と呼ぶにはまだ弱い、くすぐったさが背骨の中を駆け抜ける。そう感じた瞬間、彼の右手が、メレフの最も柔らかで無防備な部分、とろりと湿ったその場所、へ伸ばされた。唇を合わせたまま上げかけた声を呑み込んだメレフに、キスを終えたジークは至近距離で笑いかける。「そんな力むなや。リラックスやリラックス」 枕に散らばったメレフの長い髪を梳いたジークの左手に、そのまま頭を撫でられる。一方で下で悪さをする右手は中指の腹を秘められた入り口へと押し付けていて、安堵すればいいのか覚悟すればいいのか分からない混乱のまま、メレフはふいと顔を背けた。「そない恥ずかしがらんでええやんけ」「別に、どうということはないが、だが、そんなに見つめなくていいだろう」「見るな言うて、体見えへんのやから顔見るしかないやん」 ジークは自身の上に被さるシーツを邪魔くさそうに引っ張った。事が始まる前、部屋の証明を全て消して欲しかったメレフと、小さな間接照明くらい点けておきたかったジークそれぞれの妥協の産物として、間接照明は点けたまま、布団は被って睦むこととなった。ジークは少々残念そうだったが、初めて男に体を委ねて、それで、光の下で裸体まで見られるなどメレフの心臓が持たない。今だって左胸はばくばくと、この身を突き破りそうに駆けているというのに。下着が汚れてしまうからと早々に一糸纏わぬ姿にされて、一方のジークは多少乱れているとはいえまだ服を着ていて、そんな非対称、暗闇か白いシーツのどちらかに隠しておかなければ耐えられるはずがないではないか。 体の内側へ入ろうとするものがある。反射的に肩が跳ねて脚に力が籠る。侵入者は諦めたように一旦離れ、とろけた蜜を指先で掬うと、先の静かな攻防をよそに佇んでいる小さな肉芽へそれを塗りたくった。 細い腰がぴくりと震える。「ぁ……っ、ん」 気持ちいい。素直にそう思って、途端に羞恥心がメレフの頬を染めた。きゅっと引き結んだ唇を、ジークの左手人差し指がゆったりとなぞる。「声、聞かせてくれや」「だが……こんな、声…私の、っ、もの、では……あっ…!」 指が口の中に入り込み、舌をつつく。同時に敏感な陰核を捏ねられて、殺すことも出来ずに声が上がった。甘く、高く、少しかすれて、自分のこんな声、まるで聞き覚えがない。いよいよ真っ赤に染まったメレフを満足そうに見つめて、ジークは額を触れ合わせる。「何言うてんねん。メレフの声やろ。……可愛えわ」 そう言うジークの声も、興奮からか少々上擦って、いつも以上に優しく深く、そして甘い。 知らない、と、言葉にはせずに、メレフは熱い呼気を吐く。 いつか、誰かに体を委ねる日が来ることは覚悟していた。後の時代に血を残す、それは皇族に生まれた者の義務だった。第一皇女となればなおさら。男として育てられ、男である必要がなくなってからも、軍属として、特別執権官としてスペルビアとネフェルの為に、まるで男のように働けていたが、その幸福は長く続かないことくらい理解していた。スペルビアがメレフに期待する真の役割は、軍人として帝国に尽くすことではなく、スペルビア皇族の血を絶やさず繋ぐことだったのだから。もう二度と、後継者たる男児が存在しない故、女児を男として育てて代わりにしよう、なんてことのないように。 だからこの体が男に組み敷かれることは決まった未来であった。それがメレフの役割ならば、こなすしかないと諦めていた。そこに夢はなかった。ただ、上手くやろうと。形からでも愛を囁いて、最初は気持ち悪くてもやがて慣れて、その先に少しでも幸いの日々があればいいなと思っていた程度。 こんな現実は想定していなかった。「緊張せんでええで。なんも怖いことあらへんからな」 あやすようにジークは笑う。呼吸が荒くなっていく口を塞がれて、舌を絡めとられた。その間も刺激は断続的に送られて、息の仕方が分からなくなる。けれども、侵入してきた舌は、メレフを蹂躙するものではなくて。舌先でつつき合って、歯と歯茎を舐められて、吸われる。ぎゅっと閉じた瞼の裏と思考に白くもやがかかって、ふわふわと頭が回らない。 知らない。こんなジークは知らない。こんな自分も知らない。 いつか誰かに抱かれる。その誰かがジークであるなんて、メレフは欠片も想像していなかった。短い旅の中で出会い、共感は友情へ、やがて名の付く感情へ。それまでメレフはそういった心と無縁のままに生きていて、だからこれは、初恋と呼んで差し支えない。 戦いの中で生じたそれは、一時の気の迷いで終わってしまって全然おかしくなかった。けれど、色んな理屈や打算や国同士の思惑や、そういったものに周囲を固められながら、最終的には自分たちの意志で手を伸ばし合い、今粘膜を刺激され、唇を触れ合わせて声も呼吸も食われている。メレフ自身も知らなかった自分をつまびらかに暴かれながら、よく知っていると思っていた男の、驚くほどの優しさに溺れそうになっている。ついにゆっくりとメレフの内側に入り込んだ武骨な指に、異物感はあれど痛みはないまま、内臓を擦られることが覚悟していたより全然悪くない。むしろ体の芯が溶けそうなほど気持ちいい。「はっ……ぁ…、……ぁー…」 薄ぼんやりとした橙色の明かりに柔らかく照らされる室内に、嬌声になりきらない、とろけてしまった声ばかりが滲む。「よお濡れとるで。その様子なら、痛うはないな? ……気持ちええか?」「そ…ういうことを……言うな…」「なんでや。ワイはメレフに気持ち良うなって欲しいんや。教えてくれ」 頭を撫でられる。首を振る。髪が頬に張り付いて、それをそっと払われる。内側をまさぐる指先が、蜜を溢れさせる肉を巻き込みながら、ゆっくりと出入りを繰り返す。時折妙にくすぐったい場所をつっつかれて肩が跳ねる。そのポイントを記憶するように、ジークは何度も刺激を与えた。「…ジーク……」 むずがるように身を震わせて、ついに涙目になったメレフは何もできずにジークを見つめた。気付いたジークが「どないしたんや」と優しく囁き、また、口付ける。小さな水音とともに舌を絡め、啄み、離れ、また重ねる。太い首に腕を伸ばした。ジークの左手が柔らかく、慎ましやかな胸を揉む。 唇が離れて、息を吸い込む、また触れそうになったその前に、メレフは熱を帯びる吐息と共に問うた。「私は、何も、おかしくないか……?」 メレフにとって、何もかもジークが初めてだった。想いを抱いたのも、キスをしたのも。舌を絡める接吻に、最近ようやっと慣れてきたところだった。勿論、人並みの知識はある。……あると思う。だが誰かと情報共有をしたことはなく、初めては痛いらしいとか、受身が過ぎるのは良くないとか、通り一遍のことをぼんやりと知っている程度だ。男性を喜ばせる術など、そう言えば何一つ知らなかった。それ以前に、初めて男に抱かれる女として、どういう振る舞いが正しいのか、自分は何か間違っていないか、メレフには全く分からなかった。正しい声の上げ方。身の捩り方。反応の仕方。そういう実践的な知識はメレフには皆無だったのだ。 ジークは何度か瞬きを繰り返して、メレフの意図を悟ったようだった。くつくつとおかしそうに喉の奥で笑い、また口付ける。触れるだけのキス。「そんなこと気にしとったんか? 安心せい、誰もメレフに普通の女なんか求めとらんわ」「何だと……!」 あんまりな言い草に身を起こそうとしたメレフだったが、中指で内部を擦られながら、親指で放置されていた肉芽を潰されて、「ひっ……!?」と文句は甲高い悲鳴に変わる。突然強く与えられた刺激に、起こすことに失敗した上体が再度ぐしゃぐしゃのシーツに沈む。咄嗟に両手で口を覆った。それを片手ずつ引き剥がしながらジークは笑う。「やから、声聞かせてくれって言うとるやろ。……ああ、でも、そういうところはええな。そそるわ」 何がだ、とは聞けなかった。それを尋ねるために口を開いたら、今度こそあられもない声が溢れ出てしまいそうだった。胸をまさぐっていたジークの手が、痛いほどにうるさく跳ねる心臓の、ちょうどその位置に触れる。ジークは軽く目を見開いて、おかしそうに眦を下げた。「しゃあないやん、そんなメレフがええ思うてしもうたんやから。言うとくけどな、全然ワイの趣味と違とったからな。凄いで、お前」 間違いなく褒められているのだろうがどうにも貶されている気がしてならない。こんな時に言う台詞がそれか、と抗議で肩を叩くと、ジークは快活に笑って、そんな台詞の最中でさえ内側をまさぐっていた指を引き抜いた。独特の刺激に息を詰める。「……そろそろええな?」 一転、真剣なまなざしがメレフを射抜く。 反射的に顔を背けそうになったのを懸命に堪え、真正面からそれを受け止めた。睨み返すような目付きになってしまったことは許してほしい。うっかり口から吐き出してしまいそうなほど、心臓が高鳴ってしまったのだ。寿命が五分は削られた気がする。「問題ない」「……意地張ってないか?」「張っていない。第一、これで、やめてくれなんて言って、やめるようなお前ではないだろう、ジーク」 挑むような表情のまま憎まれ口を叩く。それもそうやな、と納得するとばかり思っていたのに、ジークは想像だにしなかったほど優しく垂れ目を細めた。「言うてなあ。ここまで待ったんや。もうなんぼか待つくらいは一緒やで」 意外な返事に言葉を忘れる。限界を超えて駆ける鼓動が、体内で更にうるさくなる。静かなばかりの部屋に、その音はもしかしたら響いて、ジークにも聞こえてしまっているのではないか、とメレフはやおら不安になった。 互いに心を確かめ合って体を重ねる、この夜に辿り着くまでに、実は結構、メレフは彼の手を拒絶している。一般的な成人男性らしくスキンシップを取りたがったジークに順番を守りたいと頼み、加えて堅牢な軍服に包まれたまま育った倫理観は婚前交渉をどうしても許容せず、彼に応えたい感情との妥協点として正式な婚約まで待たせた。その上圧倒的経験値の無さからキスひとつで簡単に体を強張らせてしまうメレフに、最初こそ不満そうだったジークも、「なんかだんだんおもろなってきた」と呆れ混じりに笑う始末であった。だが今、メレフはそうやって彼を待たせたことを、正直少し、後悔している。いっそ酒の勢いに任せてどこかで既成事実的に雪崩れ込んだ方が良かった。そうしたら少なくとも、こんなにも優しさと甘さばかりを与えられて、体の芯をどろどろに溶かされて、死んでしまいそうなほど音を立てる心臓に悩まされながら、やめないで欲しいと望んでしまうメレフなんてここにはいないはずだった。 リップノイズを生じさせて、触れるだけのキスが落ちる。ややかさついた皮膚の感触。温かい。「どうする」 低くかすれた囁き声。たったそれだけで小さな雷が背筋を走る。 負けじとメレフは顔を背けなかった。ここまで来てやっぱり怖いと言うなんて、そこまで彼に甘えるなんて、そんなもの、屈服してしまうのと同義だった。そんな自分は許せなかった。 分かれ。 私はお前を受け入れたいのだ。「構わない。……するなら、早くしてくれ」 いい加減全く落ち着いてくれない心臓の鼓動がそろそろ本当に体に悪い。 腹筋に力を入れて、自分から唇に噛み付いた。ジークは少し驚いて、そして、あやすようにメレフの頭を撫でた。長い髪の感触をひとしきり楽しんだ後身を起こし、手早く服を脱いでいく。がっしりと鍛えられた肉体を美しいと思う。その中で存在を主張する引き攣れた傷跡と、青く輝く半分のコア・クリスタル。メレフが羨んだジークの心臓。はちきれんばかりのメレフのそれとは異なり、静かに光っているだけで、ずるいと思う。ならば今から一転攻勢をかけて逆に襲えるかと言われれば絶対に無理なのが更に悔しいところではあるけれど。「なあまだこれ要るか?」「要る」「はいはい」 先程と同じように、邪魔くさそうにシーツを摘まんだジークは、再びそれを自分の上に掛けて、メレフに覆い被さった。ジークが身を起こしていたせいで、露わにされてしまった胸を隠すように、体の正面で交差させていたメレフの両腕を取ったジークは、そのまま自身の背中へ誘導する。秘所の中心に、感じたことのないほどの熱が触れる。一瞬だけ身を震わせるも、覚悟を決めたメレフが強くジークを抱きしめると、同時に唇を塞がれた。入り込んできた舌が、宥めるように絡む。ぴりぴりとした快感が頭蓋の裏に響き、それに集中したメレフの身から力が抜ける。それを待っていたように、ジークはメレフの内側へ至らんと、慣らされとろけて未だ慎ましやかに震えていたその場所をこじ開けた。「っ…! ……は…っ……、…!」 下腹部に襲い掛かった圧迫感が、内部から身を裂く痛みまで伴って、メレフから呼吸の方法を取り上げた。噛み殺した悲鳴を喰われながら、息の吸い方が分からなくなる。未知の感覚と慣れぬ痛みにメレフは混乱を極めた。「待っ……、ジー…ク!」「痛いか」 助けを求めるように、今まさにその痛みを与えている男にしがみつく。こんなにも強く他に縋り付ける場所などなかった。短く切り揃えられた爪が男の肌を引っ掻いたが、ジークは何も言わなかった。 ぐずるように首を振るメレフの頭を撫でて、熱を帯びた声が囁く。「すまん。大丈夫や。大丈夫。ゆーっくり、息吐き。ほら、吸うて、吐いて」 ジークの誘導に素直に従い、メレフは深呼吸を繰り返す。吐き出すのに合わせてジークが入り込み、刺激に息を詰めると動きは止まる。頭を撫で、髪を梳く手に促されどうにか呼吸を再開すると、それに合わせてジークはゆっくりと自分自身を押し込んでいく。時には引いて角度を変えながら、けれどやめてしまおうとはせずに。「ぁ……ジーク…、…ぅ、ん……っ」「せや、ええ子や、メレフ。上手やで……」 唇に、頬に、瞼に、首筋に。いくつもの口付けが落ちる。誰一人として受け入れたことのなかったメレフの内部は極めて狭かったが、その中を、逞しい熱が征服していく。時間を掛けて信じられないほど深くまでを貫かれ、きついばかりで快感を得る余裕などなかった。けれど相変わらずうるさいほどの鼓動を続ける心臓が、みなぎらって波打つ満足感に沈んで嬉しいと声を上げている。 知らなかった。メレフは何も知らなかった。理解して愛したはずの男が注いでくる甘さも優しさもほんのちょっとの強引さも、体をまさぐられる気持ちよさも内側をこじ開けられる痛みも代わりに満たされていく心も。何よりも、こんな幸せが世界にあると知らなかった。義務ではなくて、役割でもなくて。望んだ相手に望まれて、受け入れる。そんな単純な行為が、こんなにも嬉しい。「メレフ」 名前を呼ばれる。たったそれだけのことさえも。「……全部、入ったで。分かるか?」「ああ……、っ、…ジーク。……ジーク…」「なんや? メレフ」 ジークの首に顔をうずめたまま首を振る。伝えたい言葉はなかった。心臓の奥から燃え盛る熱に、そんなものは溶かされて無くなってしまった。ただ満たされていた。無意識に頬が緩んで、しがみつく腕に更に強く力を籠める。肌から粘膜から、触れ合う場所全てから分かち合って一つになっていく体温がたまらなく心地よかった。「ジーク」「うん、だから、なんや? メレフ」 呼び掛けたいだけの声が薄明りの部屋にほどけて溶ける。ジークは笑っている。お互いに吐き出す熱い呼気が重なり合って、一緒になってくすくす笑う。生まれて初めてのふわふわとした多幸感に包まれて、痛みさえ薄れ、何も考えられなくなる。見たことさえない夢の中で、心臓だけはちっとも鼓動を落ち着かせないまま、メレフはたまらなく幸せだった。2018/02/13 [44回]PR